読点を打つのは難しい。基本的には「息継ぎ」をする場所で、文章を読みやすくしたり、誤読を避けたりするために打つ。ただ悩ましいのは、大まかなルールはあれ使い方は個性に任される点だ。打ちすぎても、打たなすぎても読みづらくなってしまう厄介な存在でもある。
日本語ネーティブにとって、韓国語の難しさはまず、分かち書き。どこで切っていいやら、韓国人でも「完璧に書くのは至難の業」とこぼすのを聞く。後は日本語の読点に近いカンマの打ち方。「シィムピョ(休む印)」というが、日本語とは打つ感覚が異なる。長年学んできたが、まだ自信がない……。
この季節に思い起こす読点の白眉は「春よ、来い」。「来い」という命令形の前に打つことで、願いに切実さが加わる。ウクライナの悲しみには、読点ではなく終止符を打ちたい。一日も早く、平和よ、来い。(葉)
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