みつなり・あゆみ 1982年岡山県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科(地域文化研究専攻)修了。学術博士。京都大学東南アジア地域研究研究所の連携助教などを経て、2019年4月から津田塾大学学芸学部の講師を務める。葛飾区在住、2児の母。
光成さんがマレーシア研究者になったきっかけは大学時代にさかのぼる。興味のあったイスラム家族法に関する卒業論文を執筆するに当たり地域を選ぶ必要があり、相談していた先生に東南アジアを勧められたことから始まった。当時、マレーシアの予備知識はなく、行ったこともなかったが、「なんとなく選んでしまったのが、マレーシアだった」と振り返る。
その後、大学院に進学し、マレーシア研究者になるために修士課程で初めて語学留学を兼ねて現地を訪れた。
マレーシア国民大学でマレー語を習いつつ、現地の新聞を読む中で改宗問題に興味を持った。イスラム教徒であることが当然である人々の中から、出ていこうとする人がいる。さらには、その意志を公にして最高裁判所で争い、社会全体が見守るという状況を目にしたという。
■グローバル化するムスリム
光成さんは最近、京都大学拠点の共同研究で1950年代にシンガポールで発行されていた雑誌の分析を行っている。当時のシンガポールは、東南アジアの出版や言論の中心となっていたので出版される雑誌などは広くマレーシアでも読まれていた。
雑誌には、当時新たな技術や生活規範が取り入れられる中でマレー人ムスリム(イスラム教徒)がイスラム教に対する信仰や伝統的な慣習などをどれだけ残し、どれだけ変えていくかということが議論されている。そこで議論されていたことは、現在のムスリムがグローバル化していく社会で直面している問題と同じだという。
グローバル化が進み、日本にもムスリムが増えているからこそ、マレー語が読めない人もこの文献に書かれている情報にアクセスできるようにすることで、「社会でムスリムの人々が抱える課題などを知ってほしい」と話す。
■マレーシアでのイスラム教のあり方
大学では東南アジア研究に関する二つの講義科目と東南アジアに関する3つのセミナーなどを受け持っている。講義では、東南アジア島しょ部の多宗教・多民族社会においてイスラム教がどのように位置付けられ、実践されてきたかなどを教えている。
光成さんは「大学に限らず、一般的にイスラム教というと、独特の禁忌や義務で単純化されたイメージを持たれがちだ」と話す。通り一遍の理解から脱してもらうためには多宗教・多民族社会のマレーシアでのイスラム教のあり方を知ってもらうことが一助になると語る。
マレーシアでは、改宗など一見タブーと思われることについてさえ、公の場で議論が交わされる。マレー人ムスリムは、華人・インド人といった異なった宗教の人々と隣り合って暮らす。その中で、服装や飲食物、新しい知識や技術を取り入れることの是非について、イスラム教の教えにかなった実践方法を日々考えている。独立を果たした1960年代から既に、さまざまな宗教や思想が共存するために模索を重ねてきたのがマレーシアという。
マレーシアならではの、多宗教・多民族の人々が生きる社会のあり方から、「教訓を得ることが必要だ」と光成さんは語る。マレーシアでのイスラム教のあり方を多くの人に伝えるために、模索が続いている。(マレーシア版編集・笹沼帆奈望)
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