ふぁらー・あん 1994年マレーシア・スランゴール州生まれ。マレー系マレーシア人の父とカナダ人の母を持つ3人姉妹の次女。姉はシンクロナイズドスイミング・マレーシア代表のカトリーナ・アン選手。2015年、17年の東南アジア競技大会(SEAゲームズ)の体操競技で金メダルを計4個獲得した。競技のかたわら富士フイルムの現地法人フジフイルム(マレーシア)のブランドアンバサダーを務めている。
体操の世界に足を踏み入れたのは、わずか3歳のときだった。スポーツ好きの母の勧めで、姉とともにトレーニングを開始した。「体操と恋に落ちてしまったの」とほほ笑む。
8歳で代表候補として国のスポーツ施設の練習生となり、現在のナタリア・シンコヴァ・コーチに師事。13歳で代表チームに参加した。しかし、体操選手としての21年に及ぶキャリアは、たびたびの故障に見舞われ、いつでも順風満帆だったわけではない。2年前には背中の筋肉を負傷。2015年にシンガポールで開催されたSEAゲームズで金メダル2個、銀1個、銅3個を獲得し意気盛んだった時期だけに、落胆は大きかった。
くしくも直後に控えた17年のSEAゲームズは、母国マレーシアが開催地。ホームでの金メダルを目指し、1年間ものつらいリハビリを乗り越えた。「チームメイトが必死に練習しているのに、自分はけがで参加できなくて。チームの足を引っ張っているんじゃないかって、すごく落ち込んだ」と振り返る。
■イスラム社会から批判も
故障から復帰したマレーシア体操界のプリンセスには、国を背負うトップ選手としての重圧がのしかかった。また、イスラム教徒(ムスリム)ながら、身体の線があらわになるレオタードを着用して演技することに、心ない言葉も浴びせられた。
「常に、私は国を背負って戦っているんだという意識を持って試合に臨んでいる。うまくいかなかったときは、マレーシアが負けたような気がしてとてもつらい」と心情を吐露する。
つらい時にいつも支えてくれるのは家族だという。両親のほか、シンクロナイズドスイミングの代表選手である姉は、何かと相談に乗ってくれる心強い存在だ。
「つらい時は、もう失敗してもいいから精いっぱいやろうと自分に言い聞かせた」。そして出場したSEAゲームズ・マレーシア大会では、床運動の個人と団体で再び2つの金メダルを手にした。「チームワークは夢を引き寄せる」をスローガンに、代表チームの仲間たちとつかんだ金メダルだった。
■母国を世界の舞台へ
次の目標は、今年の世界選手権と19年のSEAゲームズ・フィリピン大会。さらに目指すのは20年の東京五輪出場だ。15年にスロベニアで開催されたFIG(国際体操連盟)世界選手権では銀メダルを獲得しており、世界レベルで戦う準備はできている。五輪選手としてマレーシアを世界の舞台に導くのは、キャリアの上で一つの節目だ。
将来の夢を問うと、「体操の学校を設立したい」と意気込んだ。また、引退後はTV番組の司会やスポーツイベントの開催など、メディアやコミュニケーションの分野で活躍したいという。
体操選手としての遠征や家族旅行で海外に行くことも多く、写真撮影が趣味だ。20代の女性らしく「自撮り(セルフィー)」も好き。写真SNS「インスタグラム」にも頻繁に投稿し、同世代へのインフルエンサーとして影響力を持つ。
富士フイルムの現地法人フジフイルム(マレーシア)は、ミラーレスデジタルカメラのエントリーモデル「X―A」シリーズのプロモーションなど、ブランドアンバサダーとしてファラーを起用。東京五輪を目指す彼女のキャリアを支えていく。(マレーシア編集部=張文杰、降旗愛子)
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