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【有為転変】第116回 “あの時”のトヨタ

2014年2月10日夕――。シドニーの新春賀詞交換会に参加していた筆者の携帯が鳴った。そこで、仰天する話が飛び込んできた。トヨタがオーストラリア生産撤退を決めてもうすぐ発表する、という。華やかな歓談の場から押っ取り刀で会社に舞い戻り、急きょ、トップ記事を差しかえた。タイトルは「トヨタ、生産中止を発表=産業界に大激震」。ばたつきながら、前月メルボルンで会ったばかりだったトヨタ・オーストラリアの安田政秀社長のことを思い出していた。

安田氏が、フランスからオーストラリアのメルボルンに赴任したのは、今からちょうど10年前の2007年だった。そこで安田氏は、この小さな市場に目を丸くした。販売台数、売上高、輸出、全てが過去最高を更新しており、ブランド別でもトヨタがホールデンを抜いてトップになっていた。競争が激しい世界市場の中で、こんなに恵まれた国があるとはと、嬉しい悲鳴を上げていた。

ところが、その翌年から波乱の時代が幕を開けることになる。08年にはリーマン・ショックを伴う世界金融危機が発生。翌09年には米国でのトヨタ車の大規模リコール問題が世界を席巻。11年には日本で東日本大震災が起こり、さらにトヨタの工場があったタイの工業地帯を大規模な洪水が襲った。矢継ぎ早の災難に見舞われながらも、それらを乗り越える力はトヨタ・オーストラリアにはまだ残っていた。だが、最後の最後に、乗り越えられない難題に直面する。

■ボディーガードも

トヨタに限らず、この国で展開する製造業にとって致命的な問題は、人件費を中心に生産コストが高い、ということだ。確かにオーストラリア法人全体で見ると、輸入車は好調だが、生産部門が赤字の上に、経営は連邦政府からの補助金頼りで、純粋な製造業としては失格だ。この赤字体質をなんとかしなければならない。

そこで安田氏は、「タフバット」と名付けた5カ年構造改革に乗り出す。あの手この手を考えたが、最終的に手を付けざるを得ないのは、「300人の人員削減」である。1940年代末に大量解雇を巡って労組との大騒動を経験していたトヨタ本社は、オーストラリア法人の大規模人員削減を認めるには二の足を踏んだ。それでも「これをやらないと製造業として成り立たない」として、安田氏は断行した。

このタフバットを導入し始めた頃、豪全国紙の一面に安田氏のインタビューが掲載されたのは、業界では今でも語り草になっている。安田氏は、オーストラリアの労働意欲の低さを批判する意図は全くなかったが、結果的にそう受け止められ、日系企業をはじめ、外国企業の経営者から「よくぞ言った」という声が相次いだ。

タフバットに対する労組の反発は予想を超えるものだった。安田氏は、ボディーガードさえ雇ったほどだ。労組にとって受け入れがたかったのは、人員削減が自由退職ではなく、指名解雇であるという点である。労組側は別のリストラ方法がないかと懇願してきた。

■顔付きが変わった従業員

だが今度ばかりは会社は本気だ、ということを見せねばならない。全ての従業員を数値で評価し、勤務評価を作り上げ、解雇対象を絞った。

タフバットの実施後、製造原価は大幅に下がり、黒字化に向けて大きな舵を切った。何より大きな副産物は、従業員の顔付きが格段に変わった、ということだった。それが、新エンジン工場の起ち上げや、カムリのフルモデルチェンジなど、大型プロジェクトを起動させることにつながった。だが——。

その矢先、フォードとホールデンが相次いで、国内生産から撤退すると発表した。これが、とどめとなった。

自動車業界は、サプライヤーのすそ野が広い業界である。国内メーカー3社の暗黙の了解で、トヨタが15万台、ホールデンが10万台、フォードが5万台生産すれば、国内のサプライヤーはなんとか生きていける、という試算がある。

それなのに、フォードやホールデンが抜けたら、トヨタが自力で多少上積みする程度ではサプライヤーが持ち堪えられない。しかも上積み分は何を作る?ハイラックス?カローラ?作れたとしても、押し寄せてくる輸入車より小売価格を安くできるのか?まず、不可能だ。自動車業界への補助金も問題になったばかりだ。安田氏は、万事休すと天を仰いだ。

■全てをメルボルンに移転

その安田氏と、先日シドニーで会った。やはり、工場をたたむまでの騒動がつらかった、という。

トヨタは今後、シドニーにある部門を全てメルボルンに移し、販売会社としてガラリと生まれ変わる。アルトナの工場跡地では、トヨタ生産方式を教える非営利団体などを設立する方針だ。

安田氏は、まだ高校生だった60年代に日本を飛び出して米国に留学した、当時としては異端児である。欧米やアジアを飛び回り、最後にオーストラリアという特異な市場に飛び込んでから10年がたっていた。安田氏は全てを片付け、年末にもオーストラリアを離れ、日本で正式に退社することになっている。(NNA豪州編集長・西原哲也)


関連国・地域: オーストラリア
関連業種: 社会・事件

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