【ASEAN】ベトナム医療は魅力的な投資機会か?(5)

6月2日付のNNA記事「私立病院、経営不振多く閉鎖も増加」(https://www.nna.jp/news/result/1616576)によると、ベトナムで病院への民間投資が急増した半面、経営不振の例が多く、大規模な私立病院が閉鎖、売却されるケースも出ているという。

同記事によれば、ホーチミン市2区のフックアンカン国際病院(500床)は、高層集合住宅を転用した最初の病院として設立され、2年余り営業したが、累積赤字600億ドン(264万米ドル、約2億9,600万円)余りを抱えて、このほど保健省などに営業停止を届け出た。

同市タンフー区のフート総合病院も、債権者30人から1,200億ドン近い債務の利払いを求めて訴えを起こされ、ついに閉鎖を余儀なくされた。5つ星級ホテル並みの高級医療サービスを目指して設立されたゴーバップ区のブーアイン国際総合病院も経営難にあえいでいるという。

同記事によると、私立病院の経営不振の原因として、「ホーチミン市10区のエクソン国際総合診療所のボー・スアン・ソン院長によれば、私立病院の経営難の最大の要因は当局による公立優遇で、私立が土地使用や税制面で冷遇されていること」にあるようだ。

ベトナム私立病院協会によれば、現在国内に私立病院は170余りあり、ベッド数の合計は約4万5,000床に上る。

このシリーズでは、「ベトナム医療は魅力的な投資機会か?」と題して、ベトナムにおける医療環境を見ながら、日本企業にとっての事業機会としての可能性とリスクを検証したいと考えている。前回記事においては、ベトナムにおける公立及び私立病院の区分けとその構造について説明した。今回は、公立病院と私立病院の医療環境の比較を見ながら、なぜベトナムではまだ公立病院のポジションが比較的高いのかについて説明したい。

■設備が老朽化した公立病院に殺到する患者たち

ベッド占有率120%。これは何を意味するのだろうか。

下の図表1は、ベトナムにおけるベッド占有率の推移である。

ここで出てくるベッド占有率とは、1人当たりのベッドに占める患者数の割合を示している。ただ、ベッドの数に対して、患者数の割合であるならば、なぜ100%を超えることがあるのだろうか。100%を超えるということは、1つのベッドに1人以上の患者がいることになるが、それは統計数値としておかしいのではないか?

ところが、それがベトナムの公立病院の現状を如実に示している。当初設置を許可されたベッド数以上に患者を受け入れており、そうした患者が簡易ベッドに寝かされたり、ひどい場合は1ベッドに2人の患者がいるのがベトナムの公立病院の実態だ。下の写真は、3大公立病院の1つであるハノイのバクマイ病院の待合室の風景だが、この情景を見るとその過剰に患者を受け入れざるを得ない状況がしのばれる。

ハノイのバクマイ病院の待合室風景(出所:株式会社アジア戦略アドバイザリー)

ハノイのバクマイ病院の待合室風景(出所:株式会社アジア戦略アドバイザリー)

このような混雑状況は、下記の図表2にあるように、バクマイ病院のような中央レベルの病院ほどひどくなっている。前回記事で記載した公立病院の紹介制度(レファーラルシステム)により、地方病院で対応できない患者が中央の大病院にどんどん送られてくるからだ。

混雑している公立病院では、朝早くからその日の診察の受付のために行列を待ち、夕方にようやく診察できるようなことも多い。入院患者の場合も1日に1回5分ほど医師が簡単に診察するだけのようなことも一般的だ。

この行列で待つ時間を短くしたり、診察をより丁寧に受けたりしたい場合は、非公式な「追加料金」を支払うことでアップグレードされた待遇を受けることができたりする。

■きれいな建物に患者が閑散としている私立病院

一方、私立病院は総じて建物もきれいで、我々日本人が一般的にイメージする病院により近い。比較までに、同じハノイにある私立病院の一つであるビンメック待合室の写真を見ると、公立病院との違いがよくわかる。

(出所:株式会社アジア戦略アドバイザリー)

(出所:株式会社アジア戦略アドバイザリー)

さて、この写真でもそうだが、私立病院では公立病院と比較してより閑散としており、中には医療関係者の数のほうが、患者より多いのではないかと思われるところも存在する。

これだけ設備に差があり、かつ空いているのであれば、より私立病院に行きたいと思う患者がいても良いものだが、冒頭の記事で記載した通り、私立病院には患者が集まらず苦戦しているという。

なぜだろうか。

■公立病院と私立病院との価格差が、患者数の差の主要な要因

理由の一つは、公立病院と私立病院の診療料金の価格差にある。私立病院は公立病院と比較して、場合によっては2倍かそれ以上高い水準にある。ベトナムの公的保険の普及率は、2014年段階で71.6%だ(図表3)。公的保険では、一般的な自己負担率は2割で済むこともあり、まだ所得水準がそれほど高くない一般のベトナム人にとって、より少ない金額で受けられる公的医療機関の存在は大きい。

また、公的機関の地位が強いベトナムにおいては、特に地方で医療といえば基本的には公立病院を意味しており、一般の市民はまず自宅の近くの公的医療機関(多くはより小さなクリニック)に行くことが公的保険を受けるために必要とされている。重病で自宅の近くの公的なクリニックでは対応できない場合、そこからレファーラルシステムを通じて、地方のより大きな病院に行くことになり、それでも難しい場合は中央のより大きな公立病院に行くことになる。これが公立病院に患者が殺到する構図だ。

■公立病院ならではの質の高い医師の存在が高い評判につながっている

ただ、東南アジアの他の国でも、私立と公立病院の診療費の価格差はベトナム同様に存在している一方で、私立病院のプレゼンスがベトナムのそれと比較して大幅に高い国は存在する。従って価格差以外の要素がベトナムにおける公立病院と私立病院の患者数の差に影響していると思われる。

それは、公立病院と私立病院の医師の水準と、それによる医療水準に対する国民の意識だ。これがベトナムにおいて公立病院の強いプレゼンスの重要な要因になっている。公務員の地位が強いベトナムでは、公務員のステータスである公立病院の医師には多くの恩恵がついてくる。公立病院の医師であれば基本的に一生仕事にあぶれることはなく、国民から尊敬され、かつしっかりと休みが取れる生活が待っている。

大きな公立病院の評判の高い医師は、自分が勤務している病院での勤務に加えて、公立病院の医師のステータスを生かして個人クリニックを開設していることが多い。また、公立病院での出世の延長線上には、医療関連行政でステップアップする可能性も用意されている。

そこまでベテランではない公立病院の若手医師も、私立病院での出張診療などで稼げたり、医療大学での講師をしたり、各種の追加収入の道が用意されている。つまり公立病院の医師のステータスだと、長期的にいろいろな収入を含めた恩恵を受けられることができるのだ。

医師にとってより決定的なのが、より高度な医療技術を学べる機会が公立病院のほうがより多いことだ。患者の数が多い公立病院ならではの診療機会の多さから、私立病院の医師より手術などの実績を積むことができる。特に高難度の診療は、大きな公立病院が集中して行っているため、こうした医療機関に所属することで自らの医療技術を安定して高めることができる。結果、高い医療技術を持つ医師の存在が評判の高さにつながり、さらに患者を呼び寄せる構図になっている。

■診療価格差ほど公立と私立では「実質の」給与差がない?

ところで、公立病院と私立病院には診療費においての価格差が存在していた。それでは、医師への報酬で同様の差はないのだろうか。もし私立病院が大幅に高い水準の給与を払っているならば、それにつられて公立病院の優秀な医師が私立病院に移ってくる。、そうなると公立と私立の医療水準の差も時間がたてば埋まっていくだろう。

公立病院から私立病院に転職した医療関係者に給与水準を聞いて見ると、こんな声が返ってくる。「公立病院から私立病院に移ったことで、給与の水準は3倍程度増えました。ただ公立病院に在籍していたころは、実際の給与以外にもいろいろな収入機会が用意されていたので、結局実際今もらっている金額とあまり変わりませんでした」。こうした別収入の中には、新興国ならではの「正式な収入とはみなされない」患者や医薬品、医療機器の納入業者などからの資金提供が含まれている場合もあるという。

公立病院の医師は、給与に加えてその他の副業機会を加えると、実質的な給与水準は私立病院の医師と比べて、それほど遜色ないようだ。給与水準がそれほど変わらないのであれば、手術の機会が多く、仕事の時間が限られており、将来的な公務員としての出世の機会を有し、国民からの尊敬をあつめる公立病院の医師というステータスを放棄する理由はあまりない。

診療価格の差や医療技術の高い医師の存在などが、ベトナムにおいて公的医療機関が私立と比較してより強い地位を保つ背景がある。それでは、私立病院が総じて公立病院と比べて劣っているのだろうか。中にはこのような状況から抜け出そうとしている私立病院もあるのではないか。

次回は、このように公的病院に対して果敢に勝負を挑む私立病院の状況をご紹介したい。

<筆者紹介>

杉田浩一

株式会社アジア戦略アドバイザリー 代表取締役。カリフォルニア大学サンタバーバラ校物理学および生物学部卒。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)経済学修士課程卒。15年間にわたり複数の外資系投資銀行にて、海外進出戦略立案サポートや、M&Aアドバイザリーをはじめとするコーポレートファイナンス業務に携わる。2000年から09年まで、UBS証券会社投資銀行本部M&Aアドバイザリーチームに在籍し、数多くのM&A案件においてアドバイザーを務める。また09年から12年まで、米系投資銀行のフーリハン・ローキーにて、在日副代表を務める傍ら東南アジアにおけるM&Aアドバイザリー業務に従事。

12年に、東南アジアでのM&Aアドバイザリーおよび業界調査を主要業務とする株式会社アジア戦略アドバイザリーを創業。よりリスク度の高い東南アジア案件において、質の高いアドバイザリーサービスの提供を目指してASEAN各国での案件を遂行中。特に、現地の主要財閥との直接の関係を生かし、日系企業と現地企業間の資本・業務提携をサポートしている。


関連国・地域: 日本
関連業種: 経済一般・統計医療・薬品電力・ガス・水道商業・サービス

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