オーストラリアで最近、新型コロナウイルスのまん延で、中国系を中心に、アジア系オーストラリア人への人種差別が飛躍的に増えている。こうした人種差別に関わる被害はオーストラリアに限らず、世界的規模で起きているようだ。一方で、同じ国民同士だというのに、コロナ感染者や感染疑いの人々へのネット上での誹謗(ひぼう)中傷や偏見の嵐が起きているのは日本で、その実態は背筋を凍らせるものもあり、ヒステリックな史実の数々を思い起こしている。
ビクトリア州で4月半ば、2人組の中国人留学生が市中心部で暴行される事件が起きた。犯人グループは暴行した際、「中国に帰れ!コウモリを食べるな!」などと叫んだという。
こうした事件は、特に新型コロナウイルスまん延後に増えており、4月前半の2週間だけで170件が報告された。またオーストラリア人権委員会(AHRC)によると、今年2~3月に同委員会に寄せられた人種差別被害のうち、4人に1人が新型コロナウイルスの関連だった。
連邦政府のタッジ移民相は「悪質で臆病な行為」として糾弾しており、「もしもそうしたケースを見聞きした場合はすぐ警察に報告して欲しい」と国民に呼び掛けた。
■友人からのメール
さて、日本で教育関連の仕事に就く友人が数日前、筆者にメールをくれた。それを見て、オーストラリア以上に、日本の実態が目を覆うほどであ然とさせられた。
友人によると、最近では京都産業大学に対する誹謗中傷が特にひどかったという。同大学で、3月上旬に欧州旅行に行った学生が感染し、ゼミの卒業祝賀会でもクラスター感染が発生し、70人以上の感染者を出した。その際、感染した女子学生だけでなく、その家族や友人までもターゲットにして激しく中傷する声がネット上で殺到。その女子学生が怖くて退院できなくなったり、その父親が同僚の偏見で会社を辞めざるを得なくなったりしたという。
ネットで調べると、同じような被害は全国津々浦々で起きている。コロナに感染した児童の名前を教えるよう、その地区の役場に脅迫的な電話が殺到したり、看護師の子供でさえ幼稚園への登園を断られたり、すさまじい狂気のオンパレードだ。友人は、「日本は一体どうなってしまったのか……」と憂えていた。
■被害者への攻撃
被害者なのに批判や中傷の矛先を向けられるケースは、近年日本で起きた事件でいくつも思い起こされる。
東日本大震災の後、福島県から避難してきた人々への陰湿な差別やいじめが相次いだり、レイプ被害に遭った女性が逆に猛烈な批判にさらされたり、また大きなものでは、日本政府が国家ぐるみで、ハンセン病を患った人々を家族も含めて差別的政策で苦しめてきたという歴史的な恥辱もある。
また海外の危険地域などで、日本人が事件などに巻き込まれるケースがあるが、「自業自得だ」として、被害者である彼らに対する非難がすさまじいほど炎上するのは、日本特有の反応だと言われる。
例えば最近では、香港の民主派デモにたまたま巻き込まれた日本人が、ネットで日本人から非難ごうごうの目に遭っていた。香港の民主派リーダーは全くその意味が分からず、非難を止めるようツイッターで嘆願したほどだ。海外では、同じようなケースでは同情を集めるどころか、ヒーロー扱いされるケースもあるというのに、だ。
■村社会の均衡を乱す者は……
先の友人は、例えば学校に障がい者の児童がいた場合、クラス決めの際に自分の子どもをその児童と同じクラスにしないよう要求する親が多いことを、同じ心理に起因するケースとして挙げていた。
自戒を込めて言えば、こうした弱者への偏見はメディアにさえある。筆者は前職で、日本のある県で記者クラブに所属していたが、ある時、比較的小さな新聞社がクラブへの加盟を求めてきたことがある。だが加盟各社が話し合い、その新聞社への非難合戦となって加盟を認めなかったというのは何度もある。紙面では行儀良い論調を展開する背後で、「既得権益の寡占」を崩したくなかったのだろう。全国規模で、いまだにそうした状況は変わっていないと思われる。
そういえば、先の京産大への中傷の中に「村八分にしろ!」というものがあり、その発想に、妙に腑に落ちるところがあった。村八分は、江戸時代から戦後まで続いた日本特有の地域社会での制裁行為で、弱い立場の特定住民を排斥したり、いじめたりする行為を指す。
要するに、そうした反応は、オーストラリアで報道されているコロナを巡る人種差別とはやや異質だろう。むしろ、土着文化のように根深い、「村社会の均衡を乱すとみなされた者に対する嫌悪感のようなもの」が根にあると思われる。
その嫌悪感を共有しているためか、日本の首相や知事といった首長などがそうした誹謗中傷を、先のタッジ移民相のように「悪質で臆病な行為」と非難する声は、ほとんど聞いたことがない。海外では、「村八分」が日本人の団結力の背後にあるという分析もある。
筆者の周囲のオージーだけでなく、日本に旅行した外国人の間では、日本人の公の場での優しさや礼儀正しさを賞賛する声が多い。だがそれも、村八分感情を隠しての表面的なものだとしたら、なんともぶぜんとした気分にさせられる。【NNA豪州・西原哲也】
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