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【アジアで会う】グエン・クイ・ドゥックさん 元ラジオ司会者 第288回 戦争に翻弄された半生(ベトナム)

グエン・クイ・ドゥック 1958年生まれ。ベトナム中部高原ラムドン省ダラット出身。17歳のときにベトナム戦争の戦禍を逃れて米国に移住した。アジア人を題材とした同国のラジオ番組「パシフィックタイム」の司会者などジャーナリストとして活躍後、2006年にベトナムの首都ハノイに住居を移す。現在はすしバーやラーメン店など日本食店を中心とした店舗をベトナムで展開。ウイスキーをこよなく愛する。

旧市街、ハノイ・オペラハウスから北に少し歩いた一角に、ラーメン店「モトサン・ウーバー・ヌードル」、カウンター席のみの居酒屋「チュバ」、すしバー「タディオト」など日本風の店舗が集まる。ラーメン店と居酒屋があるリー・ダオ・タイン通りでワイン販売店を営むフランス人に聞くと、「(3店舗の)経営者は全部同じ、アメリカ人のドゥック氏、この通りの主だ」との答えが返ってきた。

物腰の柔らかい、静かに話す初老の男性――。ドゥック氏の第一印象だ。日本食店を経営する理由として、「カリフォルニア州サンフランシスコで、ジャパンタウンに住んでいた。日本にも何度も行って、『規律』がある日本文化にほれ込んだ」と話す。中部クアンナム省ホイアンにも、タディオトを展開している。

「正直に言うと、ベトナムに住むために12年前、まずバーを開店したが、毎晩飲んでいて。友人と語らうための食事が必要と思って、日本食をはじめたんだ」

■戦争で引き離された家族

飲食店オーナーというのは、ドゥック氏の一つの顔に過ぎない。ウイスキーを飲みながら「できるだけ家族と話すべきだ」と語る彼は、ベトナム戦争に家族と引き離された過去を持つ。

ドゥック氏の父は南ベトナム軍の高官、母は教師だった。父は南ベトナム解放民族戦線に捕まり、強制収容所で12年を過ごす。母と姉はベトナムに残り、ドゥック氏は米国に渡った。

「もっと凄惨(せいさん)な経験をした人は多いだろう。幸運だった。脱出できてしまったことを、恥じていた」。家族の体験、戦争中に亡くなった姉の灰を探しにベトナムを訪れた話は、ドゥック氏の著書『灰はどこに(Where the Ashes Are)』に書かれる。

■反骨心と、許すこと

戦争の記憶と米国での生活は、ドゥック氏の反骨心を育んだ。

「怒るべきなんだ。僕は、怒っているんだ」。特定の対象がある「怒り」ではない。世の中の不条理に対し、声を上げるべきだとドゥック氏は語る。権威に従順にならず、自分自身を叱咤(しった)するべきだと訴える。

ドゥック氏は、社会的少数者や災害などを取り上げるジャーナリスト活動で世界を巡った。「若者は、インドネシアに行ってみるべきだ、モロッコを見るべきだ。遠出ができなければ、カフェやバスで会った人の話をよく聞くんだ」

ただ同時に、「許すことも大事だ」。南北を分けたベトナム戦争は鮮明だが、遠い記憶だ。移住先としてハノイを選んだのは、「ハノイのアートが好きだから」という。

いずれは、展開する店をベトナム人の従業員などに譲るつもりだ。「芸術をはじめとした創造的な活動をしたい。1種類のウイスキーばかり飲んでいてはだめだ。違うウイスキーを試さなければならない」

ドゥック氏が経営するラーメン店の1階部分は吹き抜けの屋台風で、スープはやや薄く優しい。「完璧な日本のラーメンではないと思うが」と語る彼は、「おいしいです」と伝えると朗らかに笑った。(ベトナム版編集・小故島弘善)


関連国・地域: ベトナム日本米国
関連業種: サービス社会・事件

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