インドネシア【インドネシアに生きる】余生はインドネシアと共にバティックを着た仕事師(4)社会社会一般永眠の地はインドネシアと決めている。だから余生はインドネシアと共に。仕事のスタイルは再婚しても一向に変わらないが、好きな音楽に耳を傾け、句作に興じるこ…
インドネシア【インドネシアに生きる】肝心なのは好きになることバティックを着た仕事師(3)社会社会一般海外ビジネスで成功するにはどうすればいいか。こう問われると、企業アドバイザーの柴田紹朔さん(85)なら、こう答えるにちがいない。その国の人や文化や歴史に…
インドネシア【インドネシアに生きる】向こう三軒両隣を実践バティックを着た仕事師(2)社会社会一般社用で欧米は経験済み。アジアではバングラデシュやスリランカなどには出向いたが、インドネシアははじめてだった。地図上でどこにあるかは知っていても、民族や…
インドネシア【インドネシアに生きる】隠居世代で現役バリバリバティックを着た仕事師(1)社会社会一般年不相応を地でいく隠居世代の現役バリバリさんの話をしよう。写真は苦手。人相が悪いからと本人は言うが、なかなかどうして。インドネシアの国民服であるバティ…
インドネシア【インドネシアに生きる】還暦をバネに新たな旅立ちロマン追うコンサルタント(4)社会社会一般生まれも育ちも関東だが、四国経由で30年前、メーカーの経理担当としてインドネシアにやってきた。経歴からは堅物のイメージが強いが、それは一側面でしかない。…
インドネシア【インドネシアに生きる】黄金の日々に突然の悲報ロマン追うコンサルタント(3)社会社会一般必然とは偶然の積み重ねかもしれないが、招き猫に手招きされるかのように踏み出した人生の新境地。それはまさしく、吉田隆さん(59)のターニングポイントだった…
インドネシア【インドネシアに生きる】招き猫が人生の畏友招くロマン追うコンサルタント(2)社会社会一般30歳のとき、管理部門の責任者としてYKKのインドネシア法人に送り込まれ、ジャカルタ暮らしは会社の寮から始まった。仕事上で飲まざるを得なかった苦汁は、「…
インドネシア【インドネシアに生きる】四国経由でジャカルタにロマン追うコンサルタント(1)社会社会一般大手メーカーで長年、経理をやってきた。だから数字や損得勘定にはすこぶる強い。しかし、この人の物事の判断基準は、おもしろくて楽しいかどうかだ。主体はあく…
インドネシア【インドネシアに生きる】ジャカルタで余生堪能付かず離れず46年(3)社会社会一般1971年の最初の赴任以来、インドネシアとのかかわりは46年にもなる。しかし、いくら長く住んだところで、インドネシア人にはなれず、心身ともに日本人であること…
インドネシア【インドネシアに生きる】インドネシアは奥深い付かず離れず46年(2)社会社会一般1997年の7月にタイから始まったアジア通貨危機は、たちまちのうちにインドネシアのルピアを直撃するが、これが翌年5月に起きたジャカルタ暴動とそれに続くスハ…
インドネシア【インドネシアに生きる】元商社マンは楽観主義者付かず離れず46年(1)社会社会一般入った大学で気まぐれに選択した語学と、たまたま入社した商社。その延長線上で出会った人々との縁から、長年インドネシアとともに歩んできた。1970年代はじめは…
インドネシア【インドネシアに生きる】伝統と流行のはざまでバティックの現場から(3)社会社会一般バティック職人のなり手が少なくなる一方で、バティック本来のろうけつ染めとは無縁のプリントものが市場で大手を振りつつある。賀集由美子さん(56)が主宰する…
インドネシア【インドネシアに生きる】チレボンで工房立ち上げバティックの現場から(2)社会社会一般1998年の5月にインドネシアの首都を炎上させたジャカルタ暴動。賀集由美子さん(56)はそのとき、たまたま帰国中だった。暴動はお茶の間のテレビで知ったのでは…
インドネシア【インドネシアに生きる】職業はお絵描き兼雑用係バティックの現場から(1)社会社会一般二言目には、ゆるゆる、いい加減、超テキトーといったたぐいの言葉が出てくる。本人いわく「これまでずるずると生きてきた、典型的な流され系」。自分の意志で道…
インドネシア【インドネシアに生きる】理詰めの中に人情の味中小企業を率いる論客会長(2)社会社会一般ときにジョークを入れながら、物事を理詰めで話すのは、それだけの経験に裏打ちされているからだろう。会社ではパソコンに触ることはない。はじめは意外に思えて…
インドネシア【インドネシアに生きる】末は博士か大臣かを実践中小企業を率いる論客会長(1)社会社会一般小柄だが、大きく見える。大言壮語を並べる人ではないが、話題が日本とインドネシアの関係や大企業と中小企業のちがいなどになると、次第に熱を帯び、関西弁が混…
インドネシア【インドネシアに生きる】東ジャワ暮らしは運命的元青年協力隊員の家族愛(2)社会社会一般ネパールの山中から戻った青年海外協力隊員は、木材会社に就職する。16年勤めて転職した現在の会社でも、前職同様に主な勤務地はスラバヤを中心とするインドネシ…
インドネシア【インドネシアに生きる】半生を東ジャワの木材業に元青年協力隊員の家族愛(1)社会社会一般若い頃にネパール山中で一生分を歩いたという薩摩隼人。電気のない村々を巡回する青年海外協力隊での2年半は、試練の連続であったにちがいないが、さらりと「楽…
インドネシア【インドネシアに生きる】永眠の地はインドネシア松山からジャカルタへ(3)社会社会一般身長184センチで、柔道7段の巨漢。どこにいてもたっぷりな存在感がある。人はふつう、顔で覚えたり覚えられたりするが、この人は大きな体が名刺代わりだ。人ごみ…
インドネシア【インドネシアに生きる】柔道指導で現地に深入り松山からジャカルタへ(2)社会社会一般ジャカルタの工場勤務で異文化体験をしたあと、古巣の東レ愛媛工場に戻り、ひと仕事終えてから1980年に再びインドネシアに旅立つ。それ以降、所用で一時帰国する…
インドネシア【インドネシアに生きる】邦人社会の重鎮は柔道7段松山からジャカルタへ(1)社会社会一般すべては柔道から始まった。柔道がなければインドネシアも無論ない。人の輪は四国の松山仕込みの柔道を通して広がり、社会に出てからは、労務畑の仕事に柔道が生…
インドネシア【インドネシアに生きる】インドネシアで日本の心に元商社マンは人情家(3)社会社会一般インドネシアにかかわって34年。合弁事業などで難題に直面するたび、辛酸をなめながらも相手への配慮を忘れず、もつれた糸は思いやりの心でほぐしてきた。財閥企…
インドネシア【インドネシアに生きる】52歳でシナールマスに転職元商社マンは人情家(2)社会マクロ経済社会一般インドネシアは1945年の独立後も長年、石油輸出に依存してきたが、70年代後半になって産業構造の転換が図られ、繊維をつくってそれを輸出するようになる。日本の…
インドネシア【インドネシアに生きる】神戸で見た西部劇が原点元商社マンは人情家(1)社会社会一般見てくれはスマートの一語。クールで理知的な感じがするが、この人はどっこい、限りなく情の人だ。商社マンとして30年。インドネシアの大手財閥企業に移ってから…
インドネシア【インドネシアに生きる】デザイナーからダイバーへ高松のお嬢様一代記(3)社会社会一般インドネシア暮らしが半世紀以上になっても、家で口にするのは日本食オンリー。形の上ではイスラム教徒だが、トンカツを食べて日本酒も大好き。洋服デザイナーの…
インドネシア【インドネシアに生きる】ジャカルタで洋服店開業高松のお嬢様一代記(2)社会マクロ経済社会一般インドネシアという異国の情緒を漂わす男性と、いつどこで最初に会ったのかは覚えていない。東京の文化服装学院の助手として青春を満喫していた曽我部禮子さん(…
インドネシア【インドネシアに生きる】南国日本人の人生をたどるNNA本紙創刊20周年の節目に社会社会一般本紙NNAインドネシア版は20年前のあす9月30日にジャカルタで産声を上げた。中華圏を含めてアジア全域にネットワークを構築しようと意気込んでいた頃だったが…