第46回 子どもの心をいつまでも 平野雄二・バンダイ香港社長


第46回 子どもの心をいつまでも 平野雄二・バンダイ香港社長

1978年パリ――。日本のアニメ「グレンダイザー」が、フランスで大人気を博していた。欧州での商機をにらんだバンダイはそこで、地場玩具大手CEJIと折半出資で合弁会社を設立し、外資の玩具メーカーとして初めて同国に乗り込んだ。東南アジアで生産した玩具を輸入して国内販売する手法だ。事業は万事順調にいき、バンダイのキャラクター玩具は飛ぶように売れる。平野駐在員は嬉しい悲鳴を上げていた。ところが――。

1951年、平野少年は小さな商店街の集まる台東区の浅草界隈で生まれ育つ。比較的目立たず、おとなしい少年だった。野菜を山のように積んだ馬車が毎日、秋葉原の野菜市場に向けて、蹄鉄を鳴らして近所を通り過ぎるのを、ぼんやり毎日眺めていた。

父親は、米国向けに玩具を販売する平野玩具製作所を営んでいた。ブリキの自動車やチェスなどを製作し、米国人バイヤーが大量に買っていく。子どもたちが垂涎する玩具や、当時普通の家庭では高価で買えないラジコン自動車は、クラスの中では平野少年がまず最初に手に入れた。「少年時にオモチャを自分で買った記憶はないんです」。

米国で人気のあった「007」シリーズの自動車は特に爆発的に売れた。ジェームス・ボンドの乗るアストンマーチンで、悪役の乗った助手席が飛び出す仕掛けが付いた商品だ。こうした玩具がひとつでも当たると、家が建つほど大儲けできる。だが日常は、家族総出で朝から晩まで商品の梱包・出荷作業にかかりきりだ。「子供心に思いましたね。一獲千金の商売なんだなあと」。

■厳しい創業者の下で

平野少年は、父親の仕事を手伝おうかと考え始めた。勉強は好きではなかったし、兄は既に父の商売を継いでいる。一獲千金の商売も悪くない、と思われた。

だが平野玩具には、厳しい時代が待ち受けていた。米国のニクソン大統領が

71年に、ドルと金の兌換停止と10%の輸入関税を発表して世界経済を大きく揺るがすことになったためだ。このニクソン・ショックにより米ドルは暴落。つれて主要国通貨の対ドル相場調整が実施され、変動相場制への移行と共に、円相場は本格的な上昇局面へと進んでいく。

勢い止まらぬ円高を受け、日本の輸出産業は壊滅的打撃を受けた。平野玩具も例外ではなかった。とてもじゃないが、家業を継ぐ状況ではない。だが平野青年は、玩具会社を興した知人を父から紹介されることになる。バンダイの創業者、故山科直治会長である。

山科会長は一事が万事、社員を怒鳴り散らす強烈なキャラクターの持ち主だ。「大変厳しくて、いつも怒られて震え上がっていました。今となってはいい思い出ですが(笑)」。

バンダイは、欧州でのキャラクター商品の売り上げ好調をにらみ、パリでの合弁事業を取りまとめた。そこで平野氏が、78年にパリに送り込まれた。フランスは当時、独資による外資企業の国内事業を認めていないうえ、合弁相手は同国通産省が紹介するという規制大国ぶりだった。バンダイの合弁相手に選ばれたCEJIは、出資はしても事業には事実上関わらないという条件を飲んだ。

事業は順調だったが、CEJIに新社長が就任すると、事態は一変した。両社の間には亀裂が走り、度重なる協議の末、ついに合弁を解消してしまった。「冷や汗ものでした。議論が白熱するとフランス語になってしまって理解できず、テニスの試合を見るようでした」。

結局バンダイは、その後独資の経営許可を得て、「キャプテンフューチャー」や「ユリシーズ」のアニメキャラクター商品の展開で事業を軌道に乗せた。

■米国での試練

平野氏はその後、過酷な使命を迎えることになる。バンダイが90年代初頭に、米パソコン大手アップルと、インターネットを家庭用テレビで見られる商品「ピピン」を共同開発・販売する事業を開始。この米国事業立ち上げのため、平野氏に白羽の矢が立った。事業内容に疑問を感じた平野氏だったが「どうしても断りきれず」、ロサンゼルス事業法人の社長に就任した。

だが案の定、ピピンは売れなかった。まだインターネットがさほど普及していない時代には早熟すぎた商品だった。この事業により、バンダイは巨額の負債を背負ってしまう。経営不安から浮上したセガとの合併計画も、結局流れた。

失意で帰国した平野氏だが、その後赴任した香港では名誉を挽回している。香港法人の年間売り上げは数百億円に上り、破竹の勢いだという。

元陸軍の軍人で中国に駐留していた山科会長は、中国兵法書の言葉「萬代不易」から「万代に渡り変わらぬものを」との信念を社名に込めたという。そのバンダイは現在、子どもが遊ぶ商品を扱う以上、社内でもできるだけ若い社員に権限を委譲させている。社内では背広や窮屈なネクタイはなしだ。

「いつまでも子どもの心を持ち続けたいですね。今ではオモチャで純粋に遊べなくなりましたけれど(笑)」――。(香港編集部・西原哲也)

NNAからのご案内

出版物

SNSアカウント

各種ログイン