2002/12/27

第15回 信頼関係を第一に 安河内孝夫・三井住友海上火災保険(香港)社長


第15回 信頼関係を第一に

1989年5月香港――。フラマホテル(当時)の一室で、旧住友海上火災保険(香港)の取締役会が開かれていた。窓の下は、天安門事件に対するデモ集会で10万人以上の大群衆が路上を埋め尽くしている。地響きのような低い怒号がとどろき、目の前の窓を揺らさんばかりだ。その驚天動地の光景を、息を飲む思いで見下ろす中に、香港に初めて赴任したばかりの安河内孝夫氏がいた――。

1952年、福岡市に生まれた。実家は博多駅南にある商店街で、5人兄弟の末っ子だった。父は家具職人だったが、安河内少年が8歳の時に病死した。

安河内少年は中学に入ると、バスケットボールに熱中し始める。高校は、バスケットの名門、筑紫丘高校を選んだ。朝から晩までバスケットの生活。中学、高校と主将を務め、毎日厳しい練習に明け暮れた。県代表として国体にも出場。米軍のクラブチームと練習試合したことが、「海外」との出会いだった。「でもうちの高校は自分の代になったら、2部リーグに転落してしまいましてね。自分たちが卒業した途端に、また1部に昇格したんです(笑)」。

高校3年で進学を意識し始めた安河内青年を悩ませたのは、スポーツ推薦での大学進学のことだった。部活の担任は、幾つかの大学は可能だと言っている。だが、大学選手としては上背が足りないのではとの壁を感じていた。それに、いざ大学で本格的にバスケットをするとなると、遠征費などで出費がかさむうえ、バイトの時間も取れないらしい。博多織職人をしていた母親にこれ以上負担をかけるわけにはいかない。

■保険代理店指導に奔走

結局、安河内氏は妥協し、現実的に普通の学生となることを選んだ。就職でも悩んだ。「全国規模の企業」か「地元企業」かどちらを選ぶべきか。「誰かに相談したい時に、ふとわれに返った時、ああ自分は父親がいないんだなと改めて実感しましたね」――。

就職活動での安河内青年の「売り」は、卒業生中8番の成績である。これを買った企業が、住友海上火災保険だった。

住友海上に入ると、まず広島支店営業一課に配属された。損保業界は、代理店によるルートセールスがベースだが、当時は代理店を通さずに社員が直接契約に携わる業務が一部残っていた。新人はこの直接契約を担当させられる。

ある日、安河内氏はある顧客の保険契約の更新手続きに伺った。すると顧客は、通常の更新ではなく、保険内容を変更したいと言い出した。だが自分は計算方法がよくわからない。そこでとりあえず、前年度内容での更新にしてもらった。「会社に戻ると、こっぴどく叱られましたね。そんな失礼なことがあるかと。すぐに上司と謝りに行きました(笑)」。

損保会社は、各地区ごとに販売代理店を作り、その代理店の成長を支援・指導しながら収益を上げるという仕組みになっている。ちなみに現在の三井住友海上グループの代理店数は計8万6,200社に上る。

代理店は、その保険料規模と能力で4ランクに分けられる。最高ランクの代理店に「格上げ」されると、代理店側の契約手数料が約20%まで上がるシステムだ。安河内氏は自分が担当する数十社の代理店の格上げに奔走することになる。その後、安河内氏は東京本社で、特に難しいとされる最高ランクへの担当代理店の格上げを2度経験できたという。

その後、89年に香港に初赴任する。天安門事件のデモに遭遇したのはその直後だった。当時は多くの日系企業も政情不安に苛まれていた。香港と深A間のボーダーが封鎖されて、食糧が入らなくなるなどのデマが飛び交った。不測の事態に備えようと、平日に買い出しツアーに出掛ける日系企業もあったという。

■巨大プラントの再保険も

帰国した93年当時からは、日本では保険制度改革が進行していた。96年に新保険業法が施行され、生保と損保の相互参入が事実上認められ、生損保兼営時代が幕を開けた。こうした流れの中で、2001年10月に三井海上と住友海上が合併した三井住友海上火災保険が発足した。

安河内氏はその後シンガポールに赴任し、現地の統合協議に関わった。また巨大石油化学プラントの保険引受けを担当する。シンガポール南西部のメルバウ島全体を占める超巨大エチレンプラントだ。だが石化プラントは事故率が高くリスクが大きいため、引き受け手があまりいない。安河内氏はそこで再保険ブローカーの集まるロンドンに飛び、最終的に約3,200億円の再保険を取りまとめるのに成功した。

安河内氏は話す。「保険の仕事は、代理店や顧客、ブローカーと信頼関係を築くのが第一。いいことばかり言っていてもだめです」。シンガポールでの大型保険契約も、最終的には信頼関係がカギだったという。

今回は2度目の香港赴任だ。「香港は季節感があるからいいですね。シンガポールは年中暑いから、物事が起こった時期を忘れるんです(笑)」――。(香港編集部・西原哲也)

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