2002/11/01

第11回 他人の倍やる気概を 井上隆司・香港東棉(トーメン)社長


第11回 他人の倍やる気概を

1979年夏、ニューヨーク――。繊維街として有名なセブンス・アベニューに、大量のサンプル生地を抱え、汗だくになりながら縫製業者を一軒一軒回る一人の若い商社マンがいた。トーメン・ニューヨークに転勤したばかりの井上隆司氏だ。ある客先では白人女性社員が、井上氏がカウンターに並べたサンプルを手にしては、次々に床に放り投げていく。それを井上氏がひとつひとつ拾い上げる。「ほんまに屈辱でしたわ。毎日こうでしたから」――。だが、必死で客先通いを続けるうちに、井上氏が獲得するオーダーは、膨れ上がっていった。

井上氏は1949年、兵庫県西宮市に生まれた。幼い頃から近所の田畑を走り回る腕白な少年だった。両親は、そんな井上少年が「大学に入れないんじゃないかと心配して」、大学までの一貫校である関西学院中等部を受験させた。

入学はしたものの、隣の神戸女学院が気になってしかたない。そのためか井上少年は、最初の代数の試験で0点を取ってしまった。全科目では198人中の190位。これにはまいった。それからまじめに勉強するようになり、高等部を卒業する頃には、360人中で12位になっていたという。ところが、大学に進むと再び堕落が始まった。雀荘に行くか、デートか、テニス三昧の日々。かつての成績は、再び急降下していた。

就職を控えた井上氏は、商社マンになるのだと決めていた。当初トーメンは念頭になく、願書も出していないのに、先輩の紹介であれよあれよという間に入社が決まってしまったという。

■商品ラベルを書き写す

トーメンに入社すると、輸出繊維受け渡し部を経て、73年にニット部門の中近東を担当。ある日、上司に1カ月の中近東出張を命じられた。だがサウジアラビア、イラク、リビアなどを回ったものの、一向に成約が取れない。結局、そのまま帰国せねばならなかった。上司には「1カ月中近東を回って成約ゼロはお前だけや」とこき下ろされた。

ところが、これには裏があった。中近東のような暑い国で、ニットなど売れるはずがない。上司も初めから、できるわけがないとわかっていながら出張させたフシがあるのを後で知ったという。

その後、東南アジア向けにナイロン生地の輸出を担当。香港にも出張を重ねた。ところがある日突然、ニューヨークへの赴任命令を受ける。人事の不文律から完全に逸脱したパターンだ。

赴任してみると、大変な事態になっていた。駐在員は他に6~7人いたが、彼らは独自顧客を既に持っており、それ以外の客を自分で探せという。通常は前任者の顧客を引き継ぐはずだが、それもない。自分で稼ぐようになるまで秘書もなしだという。第一、英語がよくわからない。全くの四面楚歌の状態だった。

こうなったら死に身でやるしかない。まず、百貨店の衣服売り場に行き、全商品ラベルを書き写すことから始めた。だが必ずしも、ラベル表記と企業は同じ名前ではない。

そこで人に聞き、資料を探し、しらみつぶしに業者を捜し回った。やっと探しあてても「うちはこういう会社や、ついてはこんな商品あるねんけど、見てくれへんかと。初めから全部説明せないかん。大変でした」――。

秘書がいないため、データを打ち込むのも、手紙を書くのも、全て1人でやった。帰宅が午前2時になるのは日常茶飯事だった。ある地場メーカーには、半年間、毎日のように電話し続け、ついに会ってくれたその日に、オーダーをくれたという執念の受注もあった。

そうして、7年半後にニューヨークを去る頃には、井上氏の受注総額は赴任当初の年間100万米ドルから、2,000万米ドルまで膨れ上がっていた。

■リストラ訴訟で被告人に

井上氏は、帰国して4年後の90年から、再びニューヨークに赴任した。ところが、2回目のニューヨーク駐在は、粒粒辛苦の日々となってしまう。というのも、繊維部長だった井上氏が、業界の景気低迷の波を受けて、管轄会社のリストラに取り組まざるを得なくなったためだ。トーメンは数々の子会社を閉鎖し、繊維部の従業員を半減させた。

ある日、井上氏に訴状が送られてきた。「ぞっとしましたよ。目の前が真っ暗になりましたね」。被告人の欄には、繊維部長のInоueと書いてある。解雇した米国人女性従業員から、人種差別による不当解雇だとして提訴されたのだった。米雇用機会均等委員会(EEOC)は、トーメンに非はないと判断したものの、結局、原告に数万米ドル支払うはめになったという。

井上氏は、櫛風沐雨のような米国での15年間を経て、どこに行っても通用する経営ノウハウを学んだ。「自分が持っている力はフルに発揮するのが当然。人の倍やってやるという気概を持たないとあかんです」。

香港に来てから、奥さんと一緒に社交ダンスを習い始めた。「だってカミサンが出掛けちゃうと、家に一人でいても飯食えないんですから(笑)」――。(香港編集部・西原哲也)

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