第47回 運の流れに身を任せ 板倉志郎・ニコン香港社長


第47回 運の流れに身を任せ 板倉志郎・ニコン香港社長

1969年、東京――。大学に入学したばかりの板倉青年がある日、キャンパスで目の覚めるような美しい女子大生を見付けた。中高一貫の男子校で過ごした板倉青年にとって、女子大生のいる大学はまさに楽園のようだ。その女子大生に見とれ、無意識に後ろ姿を追ってみると、ある学生校舎の小さな部屋に入っていった。板倉青年が部屋の入口で躊躇していると、背後で声がした。なにか用?――上級生らしき男が後ろに立っていた。

1950年、東京の台東区に次男として生まれ育った。個人経営者の集まる典型的な下町だった。御多分に漏れず父は工作機械用ベルトの卸売り代理店を経営していた。板倉少年は病気がちで幼稚園にも半分ほどしか行かず、いつも兄のそばを離れない甘えん坊だったようだ。

板倉少年は、兄が同じく通った芝中学・高校に進む。東京タワーのふもとにある仏教系男子校だ。教師は当時大半が寺の住職で、女性は生徒も含めて当然ひとりもいない。増上寺の住職が全校生徒を前に読経する儀式もある。白い掛けカバンと黒い学生服をまとった2,000人以上の全校生徒が境内に整列する中、「南無阿弥陀仏」の低く重々しい声が響く様は、壮観な光景だったようだ。

仏教系の高校ではあったが、カトリック系の上智大から推薦募集が来ていた。「男ばかりの生活はもう十分。次はかわいい女子大生がいる大学に」と願っていた板倉青年にとっては渡りに船だ。当時は高校1年の学期末で推薦枠が決定してしまったため、厳しい大学受験も経験せずに済んだ。「嫌なことは避ける性格でしたから(笑)」。

■写真コンテストの事務方に

大学のキャンパスで背後から声を掛けられ、ハッと我に返ると、そこは写真部の部室だった。カメラなどには興味もなかったのに、これも縁だと、その場で入部してしまった。カメラが板倉氏の人生につながった瞬間だったといえる。

父親の自営業の苦労を見て育ったせいか、楽してお金を稼げるサラリーマンがいいと考え、写真の腕を生かせるニコンに就職した。ニコンは1950年代、米国に初の海外現法を設立して以来、海外での認知度が飛躍的に伸びていた。70年初頭には、アポロ15号にも「ニコン・ フォトミックFTN」が搭載された。板倉青年は海外広報宣伝課に所属し、同社が毎年開催している「ニコン国際写真コンテスト」の事務方を務めた。

この写真コンテストは、 プロやアマ、国籍、民族を問わず、世界から作品を募る権威あるもので、毎年世界100カ国以上から、何十万点の作品が山のように郵送されてくる。審査員は、写真界の巨匠、木村伊兵衛氏や土門拳氏などだ。「神様のような存在」だった写真家たちに、身近で接することができたという。

だがこの部署は、全く残業のない静かな仕事だ。英文でさえあれば、仕事中に成人誌の「プレイボーイ」を読んでいてもよかった。板倉氏にとっては、一日中机に向かうことは大変な苦痛だった。「ほとんど自分の席を空け、社内をぶらついていました(笑)」。

その後81年に、アムステルダムに赴任した。だが欧州の大手都市への販売は東京から一括で執り行おうと、一時は欧州センターとしての機能を停止。板倉氏も東京に帰任したが、89年から欧州統合をめぐる動きが活発となり、東京から欧州各国の個別市場を見るという販売手法は全く現実に沿わなくなった。そこで、欧州機能本部を復活しようと、91年に板倉氏がアムステルダムに再び乗り込んだ。

■市場全体のバランスを

欧州市場を長年見てきた板倉氏は、独自の販売戦略を練り上げた。欧州はひとつといっても、イタリアやドイツなど各国人のメンタリティーは全然違う。マージン率もバラバラだ。当時は消費税さえ天地の開きがあった。それらを考慮すると、欧州での営業手法には2通りがある――と板倉氏は話す。ニコンが強い勢力を誇る国で集中的に販売攻勢をかけ、シェアを伸ばしていくやり方。一方、勢力の弱い国とのバランスを取りながら市場全体の秩序を重んじるやり方――の2通りだ。板倉氏は後者を取った。

「例えばドイツのディーラーにとっては『欧州全体が自分の市場』。だがそれを許すと、国ごとのアフターサービスに後々で支障をきたすんです」。ドイツでのシェアを犠牲にせざるを得ない場合があるという。板倉氏の奔走で、ニコンの欧州市場は、各国のディーラーが協調できる体制へと地盤を固めたといえる。特に、先陣争いがし烈となった東欧市場ではニコンが優位に立った。

ニコンの販売市場は、日本、アジア、欧州、アメリカと、4拠点体制になっている。香港はアジアの拠点として、順調に利を積み上げている。

大望を描く性分ではない。困難な壁は避けて通りたい。運の流れに身を任せて楽することが何よりだ。「なんだかクレイジー・キャッツの歌のようですね。ほうら、財界人物列伝には向かないでしょう?(笑)」――。(香港編集部・西原哲也)

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