第43回 中国全土を督促で回る 沖本一徳・オリックスアジア社長


第43回 中国全土を督促で回る 沖本一徳・オリックスアジア社長

1991年末、中国黒竜江省――。沖本氏は極寒の地に降り立った。国有企業に対するリース返済督促が目的だ。地元政府の副市長は、招かれざる遠方の客である沖本氏に哀れみの表情を浮かべて言った。「お返しできる金などありません」。国有企業へのリースは即ち、市政府へのリースであるのが当時の中国だ。副市長なら解決できる問題ではないか。だが副市長は、力なく言葉を返す。「私はこの6カ月間、給料をもらっていないのです……」。沖本氏は、二の句が継げなかった。1958年、神戸市に長男として生まれた。子どもの頃から野球に精を出したが、「どちらかというと、選手交代要員でした(笑)」。明るい性格の少年だった。

高校時代には、日本史担当だった恩師の影響で、日本史、それも室町から江戸の文化・風俗に興味を持った。この時代は町人経済が発達し、庶民生活も大きく変化を遂げた時代である。そこで確立した文化の残り香が、現代の日本文化へと連綿と続いている。将来、そうした庶民の歴史を教える教師になれればと、漠然と考えていた。

沖本青年はその後、甲南大学の民俗研究会で、明治初期の兵庫県内の風俗文化を調査するフィールドワークにのめり込んだ。旧家に残される古文書を丹念に調べていくと、埋もれた史実が掘り起こされていく。隣村でも全く異なる習俗があるケースもあったという。

■天安門事件に遭遇

沖本青年は教員免許を得たものの、どうも肌に合わないと実感。「外の社会を見てみようと」、1981年、当時まだ従業員700人ほどだったオリエントリース(現オリックス)に就職した。米国で生まれたリースという金融サービスが、日本でも成長期を迎え始めた頃だった。

1980年代、金融界では規制緩和が始まり、リース業界の競争が激化していく。一方、急速な技術革新により、これまで数十年単位で使用されていた工作機械にもコンピューターが内蔵されるようになり、それが使用サイクルを短縮させ、リース需要は格段に伸びていった。

沖本氏が会社の中国語研修制度に目を付けたのは、入社5年後のことである。海外進出を広げていたオリエントリースが、北京に中国初のリース会社を中国国際信託投資公司、北京市政府との合弁で設立。中国語人材の養成に迫られていた。そしてこの合弁会社の駐在員として、89年5月に正式に北京に赴任した。

赴任してみると、天安門広場で若者たちが毎晩のように「お祭り騒ぎ」をしていた。「何かのカーニバルかな……」悠長な気分でいた沖本氏は6月4日、歴史に刻まれる事件に立ちあうことになった。

その晩のことだった。友人が息せき切って沖本氏の自宅に駆け込んできた。「大変だ!装甲車が市民を攻撃している!」。路地裏に隠れた友人は、血だらけの市民が次々に担ぎ込まれるのを見た。市内は大混乱に陥り、日本人学校のスクールバスにも銃弾が打ち込まれたという。沖本氏は、人民解放軍の兵士が徘徊する物々しい雰囲気の中、ほうほうのていで日本に逃げ帰った。

だが沖本氏はそれから4年間、社長室長として駐在することになる。中国経済は当時混乱のまっただ中だ。80年代半ばからの中国投資ブームと共に、国有企業は設備投資を拡大して業務が肥大化したため、政府は管理のすべを失っていた。国有企業向けの設備リースが主事業だったオリエントリースはいち早くこの状況に気付き、国有企業に対するリース料返済の督促を進めた。

■裁判の手段にも

だが、破綻した国有企業は債務不履行にもなに食わぬ顔だ。リースの大半は自治体政府が保証人だったが、財政難を極める政府がすんなり支払ってくれるはずがない。最後の手段で、裁判にも踏み切った。工作機械を選んだのは企業側なのに「機械が悪かったから返済が滞った」という信じがたい判決もあったという。

世界に3台しかないと言われた高性能のブーツ製造機械をリースした黒竜江省の国有企業でさえ、債務不履行に陥った。いったいなぜだったのか。「気候が寒すぎて、ブーツ素材が凍って割れてしまい、完成品が使いものにならなかったんです。まるで笑い話でした」。

沖本氏はその後、39歳の若さで従業員100人を抱える台湾現法の社長に就任。メーカーや商社などと組んだ「ベンダーファイナンス」を、初めて台湾に普及させることに寄与した。そしてニューヨークを経て、香港に来た。

中国本土で困難を極めた回収業務の経験から、問題にぶつかった時には中途半端に解決せず、物事の本質を突き詰めていくことの大切さを実感したという。

昨年末久しぶりに北京に出張し、当時の中国人従業員に会った。オリックスを辞め、個人事業で大成功した人物だ。彼は「オキモトたちの当時の指導が、今になってようやく理解できるよ」そう言った。これを聞き、沖本氏は報われる思いがした。あの頃の単調な回収業務が、無駄ではなかったのだということを、証明してくれるような気がしたからである。(香港編集部・西原哲也)

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