第35回 インドで得た教訓 増田清忠・富士写真フイルム香港社長


第35回 インドで得た教訓 増田清忠・富士写真フイルム香港社長

1987年、デリー(インド)――。「この辺でちょっと降ろしてくれ」。尿意をもよおした富士フイルムの増田氏が、運転手に頼んだ。山奥の道なき道をオンボロ車で、もう7時間以上走っていた。数百年さかのぼったような何もない土地で用を足していると、付近に集落があることに気が付いた。近寄って行くと、なんと雑貨屋らしき店がある。崩れ落ちそうな店の中を覗いたその時、思わず「あっ」と小さな声をあげた。こんな原始的な場所に……。増田氏は、図らずも遭遇した36枚撮りの自社製フィルムに、懐かしそうに目を細めた。

1955年、神戸市北野町に長男として生まれた。町は当初、閑静な住宅街だったが、NHKのドラマや『異人館』の影響で、人々が絶えず訪れる観光地になっていた。神戸は明治の開港以来、観光客だけでなく、外国人も数多く引き付けてきた。増田少年も近所の外国籍の子供たちとよく遊び、外国人に対する違和感は全くなかったという。

増田氏の実家は小規模のスーパーを経営していた。両親が経営にかかりきりになったこともあり、幼い頃から自由奔放に育てられた。特にスポーツ好きな少年で、小学校は野球、中学、高校はバレー部に所属し、特に高校時代はセッターとして国体やインターハイにも出場したという。授業を除き、朝から晩まで練習に明け暮れ、友人たちと遊ぶ時間さえない毎日だ。まさに運動ばかりの生活で、「思春期にありがちな悩みや挫折感といったものもありませんでした」。

■「それなりに…」CMを作成

神戸大経済学部の卒業を間近に控えた増田青年は、「自分で作ったものを自分で売る」製造業で働こうと思っていた。ある日の就職活動中、御堂筋を歩いていたところ、「会社説明会」の看板を見つけた。これが当時、矢のような勢いで頭角を現していた富士フイルムだった。当時から知名度はあったものの、新人募集はわずか14人と小規模の会社だった。だが100人規模で募集する大企業と異なり、任される仕事の大きさが違うかもしれない、そう思った。

入社したのは1979年。米国が中国と国交を正常化させ、イラン革命に伴う第2次石油危機が発生した激動の年だった。時代の荒波を横目に、フィルム業界は順調に伸びた。時代の追い風の中、テレビ広告などフィルムの販促や企画を担当する部署に配属された。

当時、樹木希林と岸本加世子の個性的な女優を起用し、『それなりに……』で一世を風靡したテレビ広告は、増田氏が当時グループの一員として担当したものだったそうだ。この頃はちょうど、富士フイルムのプロモーション方針が、ブランドイメージ重視に転換していく端境期だった。

増田氏はその後、海外営業部を経て、バンコク駐在が決まる。シンガポールを中心に、インド、パキスタン、バングラディシュの西アジア方面も担当し、月の3分の2は出張に行く。これがなかなか重労働だ。特に西アジアへの出張には膨大なエネルギーを消費させられた。文化や宗教、生活習慣の違いが大きく、戸惑うことが多かったためだ。

増田氏はある時インドで、午後8時に商談関係者に食事に招かれた。だが酒ばかり飲んで、一向に食事を頼もうとしない。「奇妙に思いながらも夜11時頃になり、『それではこの辺で』と帰ろうとすると、おいおいと止められたんです。これから食事じゃないか(笑)」。

■揺るぎない市場シェア

現地の代理店には「もっと売ってよ」と尻を叩く。増田氏は都市から離れた僻地でも、代理店や工場があれば、自分の目で是非見たいと出掛けていった。カメラなど縁がないと思われたインド山中の奥地にも、自社製品が売られていることを目の当たりにしたのはその頃である。流通システムや商品の影響力に対し、言葉にしがたい感銘を受けたという。

その後、唯一知らなかった中華圏市場である香港に転勤。アジア市場全てに身を浸したことになった。インドと中国は、東南アジア諸国に比べて非常にビジネスが難しいという実感がある。取引先の誰が有力者なのかさえ、見当付きかねることもあるという。

富士フイルムは、日本では揺るぎないトップシェアを誇り、アジア各国でも大半がトップシェアだ。だが、富士が唯一後塵を拝している市場が、米国のコダックが60%の圧倒的シェアを持つ中国本土である。

日本で大成功をおさめた、編み目のように張りめぐらされる「代理店システム」を、そのまま中国に持ち込んでも通用しないだろうと増田氏は話す。品質と価格では負けないという自負がある以上、現場の前線で何が起きているのかを入念に見る仕組みが大事だという。

そんな思いに至ったのは、やはりインドでの経験からである。インドの古びた小売店で、どこから富士のフィルムを仕入れているのか聞いてみたことがある。ところが仕入れ先は闇市場で、値段もはるかに安い。店主は「電話一本でいくらでも仕入れられますよ」と胸を張った。「現場を自分の目で確かめるのがいかに大事かを身に染みました」――。(香港編集部・西原哲也)

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