第34回 地を這う現場主義 浅野雅行・前田建設香港支店長


第34回 地を這う現場主義 浅野雅行・前田建設香港支店長

1970年春、神戸――。大学3年生の浅野青年が、人生最大の決心を固めていた。これまでろくに反抗期もなく、両親に何の心配もさせず、悠揚に生きてきた。それを何としてもぶち壊したい。そうでなければ自分は変わることができない。思いを連ねた置き手紙を両親に残し、小さなリュックと使い慣れたギターを抱え、夜行列車にとび乗った。行き先は東京――だが、あてなどなかった。ただただ泥臭く、沼地を這うような人生を模索していた。

1949年1月、神戸市長田区に生まれた。「当時はガラ悪い街やったんですが、ケンカの強い友人と仲良くして如才ない子でしたわ(笑)」。両親が寿司屋を経営していたため、自分で夕食の支度をするなど、器用な少年でもあったようだ。

浅野少年は中学時代に友人たちと剣道部を創設。高校の時までには2段の腕前になっていた。クラブ活動に打ち込み、勉学もでき、店の手伝いも進んでする。親にとっては、手のかからない、この上ない「いい子」だった。

浅野青年の中に「人生への反抗心」がほのかに芽生え始めたのは、後に「フォークの神様」といわれた岡林信泰の歌に出会った浪人中の頃である。高度成長で勢いづく日本社会の中にありながら、「山谷ブルース」「流れ者」「手紙」など、日雇い労働者や部落差別を題材にした名曲の数々に、浅野青年の価値観は揺さぶられていく。

■自分は何者なのか

進学先に土木学科を選んだのも、日雇い労働者の泥臭い生活に憧れたためである。「大学に入って出世するという考えは微塵もなかったですな。スコップ持って労働者と一緒に土砂にまみれるんが夢やったんですから」。事実、浅野青年は浪人時代から、日雇い労働や下水道工事のバイトにのめり込んだ。測量技術をこの時既に習得していたほどだったという。

神戸大学の土木科に入学したものの、気分は晴れない。安保闘争にも参加したが、そもそも両親の庇護の下でこんなことをして意味があるのか。自分を過酷な状況に置いたら独りでやっていけるのか。いったい自分は何者なのか。そんな思いが日に日につのり、ついに浅野青年は3年時に休学し、家を飛び出した。両親にとっては「あんないい子が……」と晴天の霹靂だったはずである。

東京では、まさに「流れ者」のような生活が待っていた。目黒の小さな生鮮食品店に住み込みで職を見つけたが、早朝4時にたたき起こされ、9時には寝かされる。明治学院大の華やかな学生たちが恋人たちと談笑する通りで、浅野青年は道端で「焼きトウモロコシいらんかー」と叫ぶ毎日だ。苦労はいとわなかったものの、金を稼ぐのに精一杯で、生産的な生活が何もできないことに対し、次第に挫折感を覚え始めた。結局、両親の執拗な帰省要求に応じ、約1年後に神戸に戻った。「いいもんを生みだすには、それなりにいい環境が必要やということを痛感しましたね」。

大学に復学した浅野青年は卒業後、1973年に前田建設に入社した。だが会社員になっても、泥臭い現場を求めた。「何でもええから現場へ行かせてくれへんかと要望したんです(笑)」。

そして3年後、香港転勤命令が下った。前田の海外オペレーションの8割を担う重要市場だ。前田はその時、MTR(地下鉄)の第1期工事を受注したばかりだった。

■毎日2.5気圧の中で

香港は当時、大変な水不足だった。1日数時間しか水が出ず、飲み水にも困ったという。2年半後に帰国し、1982年に再び来港。そしてこの時から、香港駐在は現在まで通算24年間に及ぶことになった。2回目の駐在でも、現場の最先端に立った。香港島のMTR湾仔駅工事では、地下25メートルでのトンネル掘削工事を進めていた。トンネル内を密封し、内部気圧を上げて地下水の湧出を止める。浅野氏は毎日、水深25メートルに相当する2.5気圧の中で、地元作業員と汗を流した。外部との気圧差が激しいため、4時間以上の減圧時間をかけないと外にも出れなかったという。

前田建設はその後も、香港政府から国際空港ターミナルビルの建設工事を合弁で受注したのを皮切りに、空港鉄道や道路の関連工事を相次いで受注していく。日本でバブルがはじけた頃にも、前田は香港で受注景気に沸き、本社の売り上げを牽引する勢いだった。一時は100億HKドル(約1,500億円)の受注を抱えていた時もあったという。

浅野氏が青年時代から求めてきた、地を這うような徹底した現場主義は、支店長になった今でも生きている。「物ができ上がっていくのを、この目で見ないと気が済まんのです」。今年香港進出40周年を迎えた前田建設は、特に高架橋建設で絶大な信頼を勝ち得てきた。また浅野氏が主導し、地元社員を積極的に幹部登用してモティベーションを高める人事制度を築き上げたそうだ。

時間があれば、中学生時代から慣れ親しんだフォークギターをつま弾く。映画『スティング』の挿入曲『エンターティナー』を習得中だ。「もっともっと上手くなれへんかなあとね」――。(香港編集部・西原哲也)

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