第27回 韓国の潔さに学ぶ 松本哲・大和証券SMBC香港社長


第27回 韓国の潔さに学ぶ 松本哲・大和証券SMBC香港社長

1997年末、ソウル――。松本哲・大和證券ソウル支店長はある日、1本の国際電話を受けた。「漢江(ハンガン)の奇跡」と言われるほど大躍進を果たしたはずの韓国経済が、金融危機で大混乱に陥っていた。IMF(国際通貨基金)からの過酷な融資条件をのみ国家破産は逃れたものの、経済は泥沼化していた。電話の相手は邦銀の知人だ。「われわれで韓国を助けようではありませんか」――。日本の銀行・証券連合による、大型支援計画の提案だった。松本氏は、失業者が溢れて騒然とする窓の外を眺め、手に汗がにじむのを感じていた。

松本氏は1955年、京都府に生まれる。母の実家のある奈良市が近く、少年時代は東大寺や平城宮跡など、日本の悠久の歴史が息づく寺院、旧跡で遊んだ。正倉院の色鮮やかな宝物を目にし、幼心に、渡来した隣国の異文化に思いをはせた。

その後、市内の私立洛南高校に進学した。五重の塔で有名な東寺境内にある高校だ。この学校には宗教学の授業があり、中でも仏典の現代解釈は松本青年の心を捉えた。「卒業までに般若心経をそらんじるまでになってしまいました」。

それから半島の渡来文化への思いが沸々と大きくなり、大阪外国語大の朝鮮語学科に入学する。1970年代当時、朝鮮半島の言語を学ぶ日本人学生は稀有の存在。韓国や北朝鮮の書物を扱う書店さえ全国に2店しかない有様だった。大学では当時、韓国の反政府詩人の詩を読む会のビラが翌日必ずはがされた。軍事政権の諜報機関が、大阪外語大の反政府活動にも目を光らせていたという。

■3年で3千億円引き受け

松本青年は大学4年時、初めて韓国を訪れる。夜間外出禁止令が出ていた時代だ。首都のソウルでさえ、夜は暗たんとした闇の森と化した。だが日本人が失いつつある人情味と活力に惹かれ、ますます韓国にのめり込んでいった。

大学卒業後は貿易会社に就職した。だが、優良な商品の販売チャンネルが常に大手に押さえられている現実に限界を感じ、売り手の個性が商取引に影響する証券業界に転職することになる。大和証券の国際営業部だ。大和は当時「国際」と「国債」の2つの「コクサイ」が、業界1位の野村證券を脅かす部門として拡大していた。保守的な雇用慣行が根強かった日本の中で、大和はやる気がある人材ならば中途でも積極的に採用していた。

松本氏は、非居住者向けの株式・債券のセールス業務などを経て1994年、ついに大和證券ソウルに支店に赴任することになった。大学卒業以来15年も離れていた韓国に、松本氏の人生舞台は再び舞い戻った。

だが韓国での業務は、株や債券発行の引き受け営業である。「日本でセールスしかやっていなかった人物に務まるのか」という周囲の猜疑心を感じたという。しかし、それも杞憂に過ぎなかった。赴任わずか2カ月後、政府系銀行から200億円のユーロ円債発行の単独主幹事を獲得したからだ。「このタイミングを逃せば後はないという時、宴会の席にいた資金調達室長を携帯で呼び出したんです。今でも生々しく覚えていますね」。

その後も大和の引き受け業務は、沖天の勢いで伸びた。その中には、サムスン電子による200億円のサムライ債引き受けもある。これは現在でも、韓国の民間企業による唯一のサムライ債発行として債券市場史に刻まれている。松本氏が担当した3年間で、大和の引き受け総額は約3,000億円に達したという。

■構想のゆくえは……

そして97年7月。タイバーツ変動相場制移行から始まったアジア金融危機の荒波は、韓国にも押し寄せた。鉄鋼大手の韓宝や焼酎の真露、起亜自動車など大企業が軒並み経営不振に陥り、株式市場は急落した。韓国政府がIMFに資金援助要請を出したのはその後である。

IMFは最大550億米ドルの融資条件として、98年の経常収支赤字をGDP(国内総生産)の1%まで減らすことなど厳しい条件を提案した。だが、通貨下落を止めるには、さらなる処方せんが必要とされた。

松本氏が国際電話を受け取ったのはその頃である。韓国と長い貿易の歴史を持つ日本が、もっと有利な条件で支援すべきとの提案だった。邦銀団による融資と同時に、韓国で最も実績を持つ大和が、韓国政府初の大型円債発行をオファーするという筋書きだ。

松本氏は急きょ、政府の知人に打診した。ところがその後、政府は米系証券主幹事による40億米ドルの外貨建て債などを次々に合意していく。「結局、実現しませんでした……。支援はやはり米国主導でしたね」。

その後、韓国経済は大胆な金融改革で不死鳥のようによみがえった。松本氏はそのなまなましい復活の過程を見守ってきた。「韓国人の潔さや大胆さを、日本人も素直に見習うべきです」。香港に来て、華人と韓国人の気質にも極めて似たものを感じるという。

日本と韓国の両国感情は最近、歴史上かつてないほど接近している。「感慨深いなんてものではないですよ、こんな時代が来るなんて(笑)」――。(香港編集部・西原哲也)

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