第24回 一強百弱戦略で世界一に 羽淵展世・マブチモーター常務取締役


第24回 一強百弱戦略で世界一に 羽淵展世・マブチモーター常務取締役

2002年11月、東京――。モルガン・スタンレーが主催する著名なセミナーに、マブチの羽淵展世氏が講師として招かれた。テーマは中国事業展開。羽淵氏が講演を終えた直後、400人の聴衆からやんやの大喝采が沸き起こり、大勢が羽淵氏を取り巻いた。講師が違うとこんなに盛り上がるものか、と主催者は嬉しい悲鳴を上げた。羽淵氏は講演でいったい何を話したのか。「絶対に負けることがない、私の『一強百弱戦略』ですよ」――。

羽淵氏の少年時代は、まさに神童といえるエピソードの綴れ織りである。1942年、兵庫県但馬の山奥に生まれた。7人兄弟姉妹の下から2番目だった。

羽淵少年は小学校の低学年から、誰に頼まれるでもなく仕事に精を出した。毎日鮎を捕まえて塩焼きにし、山奥の平家の落人の村に売りに行く。すると飛ぶように売れて儲かる。これが羽淵氏の人生での「ビジネス」の始まりだ。

その頃、その村で野生化して卵を生まなくなったニワトリを、鮎と交換し始めた。実家で穀物を与えていると、つやのいい卵を毎日生み出す。羽淵少年の鶏卵は質が高く、当時でさえ1個13円で売れたという。牛も自分で飼い、新聞配達も年中休まず続けた。小学生の時から、当時で年間二十万円を稼ぎ、両親には小遣いなどもらったためしがない。「盆と正月には、両親にまとまった金をあげていました(笑)」。

■新聞と株とブタ

あまりに忙しい生活で、家では勉強などほとんどしない。だが記憶力は抜群で、成績は常に中学校まで全校トップだ。その後、地区の成績優秀奨学生に選ばれ、マンモス校の八鹿高校に進学した。中学生3年で既に高校3年の勉強を終えていた羽淵青年は、まだ高校2年の時、3年の兄と一緒に受けた大学入試模擬試験で、全校でトップクラスになってしまったという。授業を終えるや、毎日図書館で本を乱読し、大慌てで帰宅した後は家族の夕食を作り、牛の世話や両親の農作業の手伝いをした。勉強は全くせず、寝るのはいつも深夜になった。

だが、大学入試ではつまずいた。志望校には入れなかったが、卒業と同時に滋賀大学へ入学した。大学でも授業に興味がなく、アルバイトが高じて新聞販売店を経営。その資金を元手に、株の信用取引を手掛けて大儲けしたこともある。就職活動にあくせくする友人が不思議で仕方なかった。「金が欲しいのか?ならサラリーマンになることないんじゃないか。技術を高めたいのか?それもサラリーマンじゃだめだ」そう思っていた。卒業後、羽淵氏自身はどうしたか。

「実家に戻ってブタを飼ったんです。年1,500頭くらい売れる。年商3,000万円を超えました」。新聞店と株取引、そして養豚事業。全く異なるビジネスの裏に、どんな動機があったのか。「『人間の利害得失は五分五分』というのが世の原則。何の仕事をしようが、チャンスは転がっているんです」――。

だが、養豚事業も2年で手放すことになる。サラリーマンを数年やってみようかなと思ったためだ。マブチの面接で、養豚事業とケインズ経済学について、とうとうと1時間しゃべったという。

1971年に入社した羽淵氏は、直後に異才としての頭角を現わした。幹部会議に出席させてくれと上司に直談判。その会議で、生産拠点を海外に移し香港を輸出拠点にすべきだと力説した。「ならお前が企画してみろ」。入社して数カ月も経たないのに、香港行きが決まっていた。その後は矢のような改革路線を突っ走り、資材・部品調達ルートを日本から海外調達に変えてしまった。

■あぜ道からライバル観察

中国である日、小型モーター大手でライバル、徳昌電機(ジョンソン・エレクトリック)の大型トラックを見かけた。車で追いかけると、見上げるほどの巨大工場に行き着くではないか。羽淵氏は以来、毎日のようにこの工場に通い、水田のあぜ道から観察した。数千人の従業員がいるようだ。だが、窓が開いているのはエアコンがない証拠で、工場から機械の音がしないのは、設備投資していないはずとにらんだ。さらに詳細な分析をした結果、得た結論は「中国本土に巨大な投資をし、一貫生産体制を作れば勝てる」だった。

東莞初の日系企業として大工場を建て、資金や人材を惜しげもなくつぎ込んだ。ジョンソンを追い抜いたのは、それからわずか1年後のことだった。以来、生産は十倍以上、利益は数十倍に膨れ上がった。ミニモーター生産では、世界で既にダントツのトップシェアを誇る。

大成功の裏には、羽淵氏の「一強百弱戦略」がある。品質、納期、コストなど数百項目にわたる数値を「全て目に見えるように」グラフ化した。視察に来た米大手企業の会長が驚いたほどだ。『投下資本の収益率』を追及する体制を、全社員に徹底的に植え付けた。それにも増して、羽淵氏の経営哲学が根底で支える。

「社員と苦労だけを共にして喜びを共にできない会社など、長持ちするはずがありません。給料は香港では一流ですが、世界でも一流でなければ。あらゆる面で押しも押されもせぬ世界一。それを狙うんです」――。(香港編集部・西原哲也)

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