2003/04/25

第23回 優越感に溺れるなかれ 貞松秀幸・商船三井アジア社長


第23回 優越感に溺れるなかれ 貞松秀幸・商船三井アジア社長

1990年冬、ニューヨーク地方裁判所。商船三井の貞松秀幸氏が、米東岸・ガルフ地区の代理店契約破棄交渉にのぞんでいた。これまで商船三井の代理店を引き受けていた米国人企業とにらみ合う。交渉は裁判直前まで続いた。日本人は脅されると引き下がる。そんな風潮が相手側の態度を強硬にしていた。相手の補償提示額は絶対に飲めない。やはり裁判しかなさそうだ。「See you at a court」。そう告げて立ち上がると、相手は貞松氏を制した。裁判が始まるわずか10分前のことだった――。

1948年、大分市に生まれ、大自然に囲まれた環境で育った。小学校には毎朝30分早く行って仲間と相撲を取る。上野丘高校に進学しても、自分で作ったバーベルで身体を鍛え、夜には川べりを走った。おとなしそうに見えるが気が強い。有り余るエネルギーを発散させていた。

卒業と同時に九州大学の経済学部に入学すると空手道部に入り、毎日厳しい練習に明け暮れた。九大の空手は、試合では寸止め空手だが、練習では実際に殴り合う。入部するとすぐに上級生と組まされた。「上級生は手加減し、下級生は思いきり殴ってよい」というルールだ。貞松青年はすかさず、上級生の顔面に突きをくらわせた。「当たった!」と思ったその瞬間、貞松青年の方が倒れていた。口から血を吹き出している。「気が付くと歯が数本折れてました(笑)」。

毎年100人以上入部する部員は4年間で4~7人に減るが、貞松青年は副将として最後まで残った。「学生生活は『空手道学部、経済学クラブ』でした(笑)」。

■「話が違う!」

大学3年の3月、就職雑誌を開いていると商船三井がふと目に留まった。「2年間の乗船研修制度あり」と書いてある。九州しか知らない学生にとって、海外を回れるのは魅力的な制度である。

ところが入社式前の合宿で、貞松青年は同期と共に声を荒げた。「話が違うで!」。新入社員の3人しか制度を利用できないことが判明したためだ。当時は学生にとって完全に売り手市場。新入社員が強気に溢れる。執拗な抗議の結果、「1年間研修で8人」とする結果を勝ち取った。

横浜支店に配属された貞松青年は、さっそく乗船研修を申請した。だが待てど暮せど人事部から返事がない。人事部に聞くと、申請など届いていないというではないか。直属の上司が申請を留め置いていたのだった。憤った 貞松青年は支店長室のドアを叩いた。「乗船できなければこの会社に入社した意味がありません!」あまりの熱意に支店長も折れた。「半年待て。必ず乗らせてやる」――。

半年後、願いは実現した。世界を周回する在来貨物船に3等事務員として乗船。船はパナマ運河を抜け、米国の港町を舐めていく。アジアは台北やシンガポールを通り、喜望峰を抜けて西アフリカにまで達する。15世紀末の大航海時代の探検家のように、地球上のあらゆる民族や文化を「発見」していく。充実した1年だったという。

貞松氏は1984年、東京本社の北米課に配属、サンフランシスコ勤務経験の頃から、ある疑問を持ち始めていた。米国ではそれまで、代理店を使って運営していた。入港や集荷業務などを委託するわけだ。だが代理店といっても、あくまでも商船三井とは別会社だ。彼らは自社の利益に従って業務を遂行している。これは商船三井にとっては大変なマイナスであろう。そう信じた貞松氏は、会社に業務改革を提言。会社側はそれならと、その代理店制度が将来に向けて適切かどうか調査してこいと、貞松氏を特命休職扱いにし、ニューヨークに調査目的の駐在を命じた。

調査の結果、貞松氏は主張の正当性を確信した。結論は「100%自営の代理店業務を、商船三井自身がやるべきだ」というものだった。だが本社には、日本人が米国企業を運営するのは無理だとする強硬な反対論者も多い。貞松氏は自営に向けた作戦地図を詳細に描いた。そして会社はついに、この計画にゴーサインを出した。

後は米国での契約解除交渉だけだ。だが代理店側も猛反発する。双方が弁護士を立て、非難の応酬となった。それでも絶対に断行せねばならない。最後の最後まで譲らないのが米国流のネゴだ。あと10分で裁判が始まるという時、立ち上がった貞松氏に、相手側が修正案を提示してきた。交渉妥結の瞬間だった。

■会社の看板を外したら

100年以上の歴史を持つ代理店は結局、市場から姿を消した。ある時、契約解除した代理店の社長と偶然再会した。友情と会社の方針は同一ではあり得ないと説明する貞松氏に、「それがビジネスだと水に流してくれた。米国のいい面です」。

日本企業では、社員は純粋培養が普通だ。会社への「愛着心」と「誇り」は、裏返せば「優越感」となる。貞松氏は話す。「世界には自分より優れている人材など数えきれないほどいる。会社の看板を外してしまったら、自分はいったいどの程度の価値なのかを肝に銘じるべきだ」。

アジアから中東、東アフリカ、オセアニアと、貞松氏の担当領域は広い。休日はほとんど、それら地域を行き交う出張に利用する。「それ以外の休日?昼過ぎまで寝ているかなあ」――。

(香港編集部・西原哲也)

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