2003/04/11

第22回 「拡大」よりも「成長」を 市岡進・リコー香港社長


第22回 「拡大」よりも「成長」を

1968年5月、広島市―― 。大学2年の市岡進青年がギターとボーカルを務めるロックバンド『チェリーズ』が、ヤマハのライトミュージックコンテストに出場していた。レパートリーはローリングストーンズだ。チェリーズは広島県大会で勝ち、中四国大会に駒を進めた。ここで3位以内に入れば、静岡県の合歓の郷で開かれる全国大会に出場できる。プロを多数排出してきた夢の大舞台だ。そして、審査結果が発表された――。

1948年、広島市に生まれた。戦後3年しか経っていなかったが、原爆記念公園などを除き、戦争の名残りはほとんど残っていなかった。市岡少年は幼い頃からわんぱく少年で、とにかく足が速い。高校時代は陸上部で鍛え、100メートルは11.7秒で走ったという。勉強でも物理と数学が得意で、クラスでは級長を務めた。

卒業後は広島大学の精密工学科に入学。大学ではラグビー部に入部するが、血尿が出るほどの猛練習で体を壊したため、退部することに。くしくもその退部の日に、幼なじみや弟と当時流行りのロックバンドを組むことになった。遊び半分で始めたものの、腕試しにコンテストに出てみることになった。あれよあれよという間に中四国大会まで勝ち進んだ。

バラードを披露したら、主催者側に作曲家の猪俣公章氏が呼んでいるから楽屋に来いと言われた。「褒められるのかなと思って行ったら、『お前らにバラードなんかできるか』と怒られました(笑)」。結局、3位以内には僅差で入れなかったという。

■ある小さな発案

市岡青年は1971年、機械設計の分野で活躍できればとリコーに就職した。新人研修で同期の話を聞いていると、皆が口を揃えて「これからは海外の時代だ」と言う。なるほど「海外本部」で3年ほど働いてから、希望する設計部門に移ってもいいだろう。そして海外本部に配属された。

ところが、この時以来30年間、外国にどっぷり漬かった営業に従事することになってしまった。機械設計とはついぞ無縁だったわけだ。「これまでの人生は何だったんでしょう。どこかで狂ったとしか思えませんねえ(笑)」――。

市岡氏はリコーで複写機を担当。リコーは、米国のセービン社とナシュア社に対してOEM生産を請け負っていた。

72年のことだ。リコーは新製品複写機『PPC900』を出す。ところがこの製品が、出荷した途端に世界中で大暴れし、修理用の部品注文が殺到。全社の経営に膨大な打撃を与えてしまった。

だが数年後、今度はすばらしい複写機が現れた。『DT1200』だ。バナナのたたき売りのように、飛ぶように売れる。当初600台だった月間出荷が、1年後には4,000台に膨れ上がった。傾きかけたリコーの経営を立て直してしまったという。市岡氏は話す。「リコーの社員なら、これら2台の製品は忘れられないでしょう」。

米国担当だった市岡氏はその頃、DT1200があまりに好調なので、「トナーインクなどの消耗品を米国で現地生産できないだろうか」という思いが浮かんだ。だが工場に打診してみると、一笑に付されてしまった。ところが半年後、市岡氏は上司に呼ばれた。「以前のあの案をもう一度説明してくれ」。そしてプロジェクトが進み、市岡氏の小さな発案が、カリフォルニアの敷地に巨大な生産工場となって実を結んだ。これが現在でも、米国市場の複写機関連の消耗品生産を担っている。

市岡氏は76年のある日、会議から戻った上司が、顔面蒼白で怒りに打ち震えているのを見た。「何かあったな」。事情を聞くと、セービンがリコーに対し、日本での消耗品売り上げにも巨額のロイヤルティーを求めてきたという。ロイヤルティーは複写機売り上げだけのはずである。怒り心頭に達したリコー側は、約3年間かけ、OEM契約の打ち切りに踏み切ったという。

■出張年間180日

だがリコーにとっては、これが「絶好の機会」だった。セービンとのOEM契約を打ち切ったことで、リコーブランドの海外進出が本格的に始まったといえるからだ。これを皮切りに、リコーは北米や中南米に進出。市岡氏はブラジルに赴任し、中南米全域を事実上1人でカバーした。中南米の出張だけで年間180日に及ぶ。「たまに家に帰ると、娘が父の顔を覚えていないのには参りました(笑)」。

営業は飛ぶ鳥を落とす勢いで邁進した。セービンやナシュアの独壇場だった中南米市場を、市岡氏が全地域でひっくり返していった。全くゼロだった売り上げは、年間約30億円まで拡大した。白旗を揚げて降参したのはライバルたちだった。セービンは再びOEM契約を求めてリコーに泣きつき、リコーは結局95年、セービンを買収。その後ナシュアも買収してしまった。

ブラジルの後も、欧州各国を転々とした。あまりに外国生活が長く、若い頃に東京に建てた一戸建て家屋には「洗面所さえ使ったことがないんです(笑)」。

リコーの海外部門は、好調な全社業績を引っ張ってきた。複写機市場では堂々業界1位を維持している。だが市岡氏は自戒している。「『拡大』はむしろ罪。着実な『成長』を目指すべきです。やみくもな拡大には、いつか落とし穴があるものですから」――。(香港編集部・西原哲也)

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