2003/03/28

第21回 まじめに、誠実に生きる 浜崎昌隆・東レ香港華南総代表


第21回 まじめに、誠実に生きる

1974年春、ベイルート――。当時「中東のパリ」と呼ばれた華やかな都市がある日、一瞬にして恐怖の街と化した。東レの駐在員として赴任していた浜崎氏はその日、米銀大手バンカメリカで米ドルを引き出した。金をおろした浜崎氏が銀行から出た直後だった。耳をつんざくような銃声と女性の悲鳴が同時に響き、とっさに身を伏せた。女性が青ざめた顏で逃げてくるのが見えた。レバノン政府と対立していたイスラム過激派が、内にろう城したのだった――。

1941年、大阪市内に生まれた。姉2人と妹1人にはさまれた長男で、少年時代から大人しくまじめな性分だった。日本全土で「末は博士か大臣か」と言われた時代が続いていた。子どもは大学に入れて、偉くなって、いい身分を得てほしい。高度経済成長を目前に、多くの親が そう考えていた。浜崎少年が育った家庭も例外ではなかった。いつも勉強に明け暮れているガリ勉だったという。「今もそうかもしれないですけど(笑)」。

高校に入ってもまじめで、受験勉強ばかりだった。高校生の頃、浜崎青年は一人の米国人宣教師と知り合いになったことから、外国文化に憧れを抱くようになった。その影響で英語が好きになり、英語だけは特に成績が良くなった。

■アラビア語を習得

進学先は外国を学べる方面を志望した。大阪市内で生まれ育った浜崎氏には、歩いて通える格好の大学があった。大阪外語大だ。外国語ならば、卒業後の就職に有利な言語がいいだろう。商社やメーカーから毎年引っぱりだこで、ユニークな言語は何か。そう考えた末、浜崎氏はアラビア語学部を選んだ。

アラブ諸国は、日本文化からは最も遠い文化を持つ国々である。セム語系に属するアラビア語の文字は右から左へ書き、日本語にはあり得ない発音を多く有する。文語と口語に大きな違いがあるのも特徴だ。

大学では、サボらずに授業にきちんと出る優等生だった。そうして浜崎氏は、就職でメーカーを希望し、東レに入る。モノを作るのが本業の企業に行きたかった。「当時、東レが一番給料が高かったことも原因ですが(笑)」。

1965年に入社すると、大阪の輸出部に配属された。織物の輸出受け渡しが基本業務だ。東レでは、新入社員はいきなり販売は任せてもらえず、デリバリー業務をこなして製造から販売までの過程を把握してから販売部門に配属される。多くの新入社員にとって「大企業で働く」という誇りは、次第に態度に表れ始める。「そうなったらあかんぞ、と上司からこてんぱんにやられました」。

このデリバリー業務を5年ほど無我夢中でこなしていると、まだ営業の経験が全くないのに、浜崎氏にいきなりベイルートへの駐在命令が届いた。どうやら中東で販売促進に乗り出すらしい。

西と東が交流する位置にあるベイルートは1970年当時、中東の経済、文化、交通の中心地として、世界で最も栄えた都市のひとつだった。アラビア語や英語、フランス語、ロシア語などが飛び交い、人々は平和と繁栄を享受していた。生活物資も豊富にあるし、アパートの入り口にはセキュリティロックシステムも完備してある。「当時、エスカレーターが既にあったのにはびっくりしました」。為替制限も輸入制限もない。関税も安い。ビジネスでも天国のようだった。

天国の地が、不安の地に転落したのは1974年のことである。浜崎氏が出てきたばかりの銀行を、顔を覆ったイスラム過激派組織「ファダイーン」のメンバーの男たちが、機関銃を抱えてろう城した。銀行内には、西洋人や日本の商社マンら20人が人質になり、2週間閉じ込められた。浜崎氏は命からがら、ギリシャのアテネに逃げたという。ろう城の男たちは結局、投降し逮捕された。

■まさか中国で……

レバノンの事務所を閉鎖した後は、日本での勤務を経て、1978年にエジプトのカイロに赴任した。同じアラブでも、ベイルートと違って、カイロは貧しかった。関税も高く、政府の汚職もひどい。トイレットペーパーや砂糖、肉などを闇ルートで仕入れた。サダト大統領の暗殺も赴任中に遭遇したという。

浜崎氏はこの後、日本に帰らずにロンドン、イタリア、ドイツと約8年間欧州で勤務することになる。先入観とは異なり、イタリア人は好きな仕事ならよく働くのには驚いたという。欧州では、音楽や美術で本物が堪能できることが素晴しい。「でも欧州全土で、十数回も盗難にやられたんですわ」。

少年の頃からのように、まじめに、誠実に物事に打ち込むのは仕事でも全く変わりない。『スピード』、『サービス』、『シンセリティ』の3つの『S』がモットーだ。東レは今年初め、華南の7社を統括する持ち株会社を設立し、浜崎氏がトップに就いた。「まさか、中国で仕事することになるなんて、ベイルート時代は思いもよりませんでしたわ(笑)」。

43才の時に腹膜炎を患い、酒とたばこをきっぱり止めた。「ビジネスマンたるもの、まず健康でないと」。 (香港編集部・西原哲也)

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