2002/10/18

第10回 道はベストを尽くすにあり 木戸脇雅生・NEC香港社長


第10回 道はベストを尽くすにあり

1975年、大学2年の夏休みにハワイ大学の夏季講習に参加した木戸脇青年は、自分の価値観が揺らぐ衝撃を受けた。米国の自由闊達、そして開放的な価値観の世界――。米国人学生たちは非常にオープン指向で、自己責任を持って行動している。自分が、いかに小さな井の中にいたのかを否応なく知らされた。そして、木戸脇青年の潜在性を抑え込んでいたタガが、一気に外れた。この夏を境に、内向きだった木戸脇氏の人生は、井戸から大海原に躍り出ていくことになる。

1956年、岐阜県高山市に生まれた。父親の転勤で、幼稚園の時に東京に移った。運動好きの野球少年だったが、女の子に声もかけられないほど気が小さく、大変おとなしい少年だった。「今では、皆に『信じられない』って言われますけどね(笑)」―。

木戸脇青年が進学を考え始めた高校時代のある日、『蛍雪時代』という雑誌を読んでいると、「これからはコンピューターの時代だ」と書いてある。実に今から30年も前の時だ。だが、コンピューターだけの知識ではだめだ。コンピューターを使って経営分析をする能力こそが、新しい時代のニーズになるのではないか、そう感じていたという。

木戸脇青年は高校卒業と同時に、管理工学科を持つ慶応大工学部に入学する。大学では、将来につながるトレンドを身に付けようと思っていた。そこでさまざまな本を読むと、「これからはゴルフの時代だ」と書いてある。工学部だったため体育会ほどには練習できなかったが、ゴルフ同好会に所属したという。

『コンピューター』、『ゴルフ』と来たら、もうひとつは『海外』だろう、と考えた。将来は商社マンとなり、世界を相手のビジネスをするのだと思っていた。

ハワイ大学の夏季講習から戻り、カルチャーショックの興奮覚めやらぬ木戸脇青年は、勉学の意欲に燃えていた。ハーバード大で学んだ教授のゼミに入ったが、授業がとにかく厳しい。ハーバード大の授業で使ったテキストで個別企業の経営を分析するのだが、「かなり勉強しないとついていけませんでした。だけどこれが、後の糧になりましたね」。

木戸脇青年は当時、ロータリークラブの下部組織の会長を務めていた。ある会合で、NECの副社長と隣りの席になった。その時の印象が良かったことに加え、NECの将来性について教授からの推薦状ももらうことになった。既に商社2社から内示が出ていたが、これも縁と、商社マンは諦めた。

NECに入社すると、海外営業部に配属。東南アジアを担当した。当時は、総額15億円に上るインドネシア政府のコンピュータープロジェクトの入札を間近にしていた。現地で入札と展示会を一度に実施する超過酷なスケジュールだ。貨物便での空輸では入札に間に合わず、ダンボール30箱分もの入札書類と展示マテリアルを、旅客機で運ばざるを得なかったという。「空港カウンターの女性に、『お客さん……。カーゴじゃないんですから』って叱られましたよ(笑)」。

現地のホテルには日本時間の深夜2時に到着したが、それから入札対策会議をこなした。その苦労の甲斐が実り、ついにNECは受注を獲得。これを皮切りに、NECはインドネシアで、ジャングルの中の3億円のダム制御コンピューター事業などの受注に次々に成功し、当地での地位を築き上げていった。

その後86年、駐在員事務所しかなかったタイに次席として赴任。この頃は、日本でアジアブームと呼ばれ、日系企業がこぞってアジアに押し寄せはじめた時代だ。NECはこの波に乗り、タイに進出した日系企業のホストコンピューターを次々に受注。台数で約150台、年間40億円を売り上げたという。

■NECタイランド設立

木戸脇氏の旺盛なエネルギーには目を見張るものがある。タイ赴任2年目にして、新たに「NECタイランド」を自ら立ち上げ、ナンバー2に就いた。わずか31歳の時である。当時は好きなゴルフもやらず、土日も深夜まで残業し、会社設立の登録書類作りから、見積もり、販売効率化につながるソフトのプログラミングなどに打ち込んだ。経理以外の部門は全て自分でやったという。

そうして、年商ゼロからたった5年で75億円、従業員数も120人を数えるまでに成長した。「自分が作った会社だからかわいくて、熱が入りましたね。会社経営のノウハウは、あの時に身に付けたといってもいいでしょう」――。

大学時代の精神的変革から得た人生教訓は、今でも全く変っていない。自身が正当性を示してきたように、「年功序列」、「先輩と後輩」、「男女の区別」は、会社経営には全く意味がないことだ。その代わり、常にベストを尽くしたのかどうかを、部下にも強要するという。「『しょうがない』という言葉は使わないようにしているんです」。

驚異的なスピードで本を読みさばく。「昨日も3冊読みましたよ。読んだ本を社内で回すと、皆が読み切れなくて溜っちゃうんです(笑)」。(香港編集部・西原哲也)

NNAからのご案内

出版物

SNSアカウント

各種ログイン