2002/10/04

第9回 仕事の達成感を支えに 勝瑞護・川崎(香港)社長


第9回 仕事の達成感を支えに

1969年冬、東京――。母親の他界に伴う後始末を終えた勝瑞青年は、学生寮に久しぶりに戻り、風呂に入っていた。その時、寮生たちの喜々とした声が洩れてきた。就職先を報告しあっているようだ。焦った勝瑞青年は湯船から飛び出し、直ちにリクルートブックを見あさった。するとある企業欄に、8階建ての立派な社宅が写っている。川崎汽船――。これだ。これで住居の心配はいらなくなる。自分を縛り続けた池袋からも脱出できる。船会社への入社は、貧しい学生生活からの船出でもあった。

勝瑞氏は1947年、東京に生まれた。勝瑞(しょうずい)という珍しい姓は、両親の出身地である四国の徳島県に由来する。吉野川下流の藍住町には、細川頼春が1337年(延元2年)に築城した勝瑞城跡が今でも残る。父は苦学して上京し大蔵省の役人になったが、勝瑞氏がまだ8歳の時に脳溢血で逝去した。東京には身寄りもなく、母が小さな雑貨屋を開業して男ばかり3人の子を養った。

勝瑞氏は、物静かな文学青年だった。学校帰りに名曲喫茶でクラシックを聞きながら本を読む。「社会に反抗的な思想スタイルがもてはやされる時代で、異端児を気どっていましたね」。

■裸一貫で会社に

当時、体調が悪くなった母は、店を次男の勝瑞青年に継がせたいと思っていた。兄は芸術系の大学に通っていたし、弟は高校に入ったばかりだ。だが勝瑞青年としては、こんな所で雑貨屋の主人として生きるのはどうしても嫌だ。早く帰って店を手伝ってと言われるが、いつも寄り道してしまったという。

国立大学ならと、進学を母に認めてもらったが、1年目の受験は失敗し、もう一年だけと泣いて懇願した。そして死に物狂いで勉強し、翌年に一橋大学に受かった。雑貨屋を継いでほしいと思っていた母はその時、合格祝いにパイオニアのステレオを買ってくれた。勝瑞氏が打ち明ける。「実はこの時のためにお金を貯めてくれていたんでしょう。嬉しかったですね」――。

大学には入ったが、大学紛争で校舎は荒れていた。世紀末ロシア詩の勉強を始めた勝瑞青年も、オルグや学生集会に引っ張り出された。そして、国立校舎がバリケード封鎖されたのと同時期に、実家の母親が喘息で入院してしまった。勝瑞青年は実家に戻って雑貨屋を手伝わざるを得なくなり、学生運動からは自然に手を引いていった。

この時、家庭の事情を見かねた高校の同級生が、店の手伝いに来てくれた。この時の同級生こそ、勝瑞青年の後の伴侶となる高田幸子さんだった。

母親は半年にわたる入院後、他界した。雑貨屋は売り払い、売却金は兄と弟で分け合った。勝瑞青年は、翌年に社宅のある会社に入ればいいのだからと遠慮したからだ。だが、全くの裸一貫となった勝瑞青年には翌年から、船会社での新しい生活が待っていた。

川崎汽船に入ると、定期船輸入部に配属した。仕事は船の利用のセールス。上司は毎晩飲みに連れていってくれるし、金を払わずにタクシーに乗れる。貧乏学生だった勝瑞青年にはまるで別の世界だ。「驚きましたね。サラリーマンってこんなに優雅なのかと。正月でも飲めなかったサントリー・オールドを、浴びるように飲めたんですから(笑)」――。

その後、デュッセルドルフ、ロンドンなどに赴任し、セールスや航路運営に携わった。高度成長期と軌を一にして、日本の輸出が伸びた時には、社の業績もうなぎ上りで伸びた。ところが、プラザ合意を境にして急速な円高になると、日系船会社は競争力を失い、次第に韓国、台湾系船会社が力をつけていった。

■200億円のコスト減

海運業界は国際競争の波にいち早くもまれた業界といえる。参入障壁が低く、新規参入組がフリーハンドで老舗組のシェアを脅かす構図にならざるを得ないためだ。

円高後、川崎汽船は全社的に危機感を強め、勝瑞氏は社内構造改革を進める事務方として参画した。コストを下げるには、金を節約する以外に、社の構造を変えるしかない。できる限り日本の機能を海外に移した。そうした構造改革の結果、年間約200億円のコスト減に成功した。勝瑞氏は「海運業界で生き残るというのは、環境に早め早めに適応していくこと」と実感しているという。

川崎(香港)はアジアのセールス拠点で、地元従業員180人を抱える。従業員に意気に感じて働いてもらわなければ業績にも響く。「場とチャンスを与え、数字で示した「達成感」を刺激にすることが大切ですね」。10年前と経費も人数も同じだが、取扱高と収入は倍増している。勝瑞氏の仕事での支えになってきたのも、こうした達成感である。

仕事をやり終えたら、今度は自分だけのための達成感を手にしたいと思っている。それは、バイクで日本を一周することだ。司馬遼太郎の『街道をゆく』と、ラップトップのパソコンを持って。「将来の体力と、金と、そして妻の許可があれば、ですがね(笑)」――。(香港編集部・西原哲也)

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