2002/09/20

第8回 絶えず自分の使命感を 田中達郎・東京三菱銀行香港総支配人


第8回 絶えず自分の使命感を

1983年春、米国テネシー州――。ブリヂストンが、同州にあるファイアストーン社のタイヤ工場買収に成功した。5年後にファイアストーン社を全面買収し、ナッシュビルに本部を移すことにつながる「大きな前兆」だった。この時、当時の東京銀行がブリヂストンのアドバイザーとして関与していた。これは当時、日本の銀行がフィーを取ってアドバイザリー業務に踏み入った最初のケースと騒がれた。実は、これを手掛けた1人が、当時弱冠34歳の田中氏だった。

1949年、東京の文京区に生まれた。幼い頃から活発な性格で、運動好きの少年だった。小学校から高校まで、絶えずクラスのリーダー的な存在だった。

父親をはじめ、親族の多くが法曹界に身を置く環境に育った。その影響か、ルールを守る、不正は許せないという意識が幼い頃から強く育まれたという。小学生の頃から、長嶋茂雄と石原裕次郎に強く憧れ、Gパンを風呂場でタワシでこすって色を落とすことにこだわるようなマセた面もある少年だった。

高校は、東大合格率が高い有名私立高。だが高校には、親や教師に素直に従い、東大へ行くのが最良の道だと信じている雰囲気があり、それにはどうしても馴染めなかった。卒業後、浪人の身となった田中青年は、ひたすら読書に熱中した。そんな中で安田講堂事件が起こり、翌年の東大入試は中止となる。そうして、慶応大学へ入学した。

学生時代は当初、法学の道を志した。法律家の父は尊敬していたが、「既成の枠組みを抜けきれないエスタブリッシュメントの群れ」に疑問を抱き、興味は「企業活動の社会的責任」に移った。そして就職先に東京銀行を選ぶ。日本企業の国際進出の一翼を担っていた東銀が、広範な社会性を持つように見えたためだ。

東銀に入社すると、東銀が買収したロサンゼルスの地銀への研修生に選ばれて渡米する。そこでの経験が、地場企業、日系企業との付き合いを生むことになった。ブリヂストンの工場買収の際の功績は、ここに原点があったともいえる。

田中氏は言う。「あの時に目覚めましたね。新しいニーズは必ずあるんです。そのニーズをいかに発掘するか。それが今後の銀行業務を決めると言っても過言ではない。投資銀と商業銀の区別など本来ないんです」。それが今でも政策理念に生きている。「銀行は今後、ますますアドバイザリー業務に重点が置かれるはず」と予測する。

田中氏はその後、営業企画部、資本市場部に移る。そこにもまた、「新しいニーズ」は埋まっていた。大手日系企業のフィリピン工場設立にあたり、「債務の株式化」という新しい資金調達スキームを駆使してサポートした。これは、邦銀では最初の試みだった。

その後、商社担当として商社マンと一緒に資源開発プロジェクトを追いかけた。南米やアジアを飛び回り、ファイナンスの組成に奔走した。田中氏は「この頃は上司に『お前は商社の回し者か』と言われたものですよ」と笑う。

田中氏は92年に、ニューヨーク支店に配属。プラザ合意後、日本の貿易黒字はますます米国に流入した。日系企業は、米国から教えられるものはないとばかりに、ロックフェラー・センターなどの米国資産を買い漁り、宴は盛りと酔いしれていた。逆に財政赤字に苦しんできた米国は、危機感を強めていた。

だが90年代に米国が急速に構造改革を進めて立ち直りを見せた一方、バブル崩壊後の後遺症に苦しむ日本企業に対する世界の見方は変わっていった。当時米国にいた田中氏は、いつまでも改革を怠り続ける日本を見てきた。

「金融機関が護送船団だと揶揄されるが、金融機関だけじゃない」。マーケットメカニズムが働かない経済構造を引きずってきたことが、今になってさまざまな形で弊害として噴出してきた――というわけだ。

好んで使う言葉がある。「ノーブルズ・オブリージ(教養ある者の使命)」だ。日本の昨今のエスタブリッシュメントには、それが欠けているのではないか。

精神的に早熟だった田中氏が、青年時代から求め続けた「あるべき姿」を示してくれた人物がいる。それが、吉田茂首相の顧問として、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた白洲次郎だ。今の日本人が失っている気概や使命感を背負っていた人物だ。

絶えず前向きな性格の田中氏にしては意外だが、部下にいつも伝えているのは「悩め」ということだ。決められたことを単純にやる限り悩むことはない。それで新しいものが創出されるはずがない。徹底的に悩み、深く考えよ――。

休日に、香港の山道をひたすら歩くことが最高の楽しみだ。1時間半に1万歩の早足ペースで歩く。だが、最近はそれもできないでいるという。「先日、若い子たちが走ってたんで、カッコイイところを見せようとしたら、腰を痛めちゃいましてね(笑)」――。(香港編集部・西原哲也)

NNAからのご案内

出版物

SNSアカウント

各種ログイン