2002/06/28

第2回 人間万事塞翁が馬 早川富隆・ソニー香港社長


第2回 人間万事塞翁が馬

東京の八王子駅北口から甲州街道にかけて、桑の並木道が続く。身近な木だが、街路樹として使われるのは世界的にも珍しいという。八王子市は、奈良時代の古くから原生の桑を利用して養蚕・絹織物業が栄えた。1943年、早川氏はそんな織物の街に次男として生まれた。父親は、百数十人を雇う絹織物工場を経営していた。父親は、家で俳句や詩をよく詠んだ。早川氏の現在の楽観性は、仕事以外で風情を楽しむ父親を見て学んだともいえる。

青年時代から海外志向が強かった。いずれはどこか海外で仕事をするんだと決めていた。立川の米軍駐屯地が比較的近かったため、これが刺激になった。英語は独学で学んだ。米軍ラジオ放送のFENにかじりつき、駐屯地内で英字紙販売のバイトをし、電車の中で見知らぬ外国人に話しかけた。新宿の50円外国映画には、リスニングの勉強のためによく通った。

■家庭の試練

日本は60年から岩戸景気に入り、もはや戦後ではないと言われた。ところが繊維業界は65年頃から、先進国の輸入制限や発展途上国の台頭などを背景に転換期に入る。この後、米ニクソン大統領が対米繊維輸出規制を実施。さらに円の変動相場制への移行などで、発展途上国からの輸入ラッシュが始まる。八王子の織物工場数は、63年の1,365カ所をピークに、衰退の一途をたどった。父親の経営する工場も例外ではなかった。結局、父親の会社は倒産した―。

一家の大黒柱が、突如収入を失う。中学生だった早川青年にとっても、これは大きなショックだった。早川氏は2歳の時に、母親を亡くしている。これに端を発して、家庭も、会社倒産の頃からさらに複雑な問題を抱えていった。今までは思ってもみなかった人生の試練が、急に押し寄せたかのようだった。当初は「なんで自分だけがこんな運命を背負うんだ」と自暴自棄になった。だが幸い、屈折はしなかった。「むしろ会社を経営することのリスク、人生の難しさ、自分を強く保つことの必要さを、この青年期に叩き込まれたような気がしますね。結局、人間万事塞翁が馬なんですね」。

大学卒業後、早川氏はソニーに入った。「当時は今ほど有名ではなかったが、面白そうな会社だった。商社を介さずに輸出するリーダー的なメーカーだった」。入社するや、流通業務課を経て、海外営業部に所属。初めての海外赴任は、プエルトリコだった。72年に起きた、日本赤軍のテルアビブ銃乱射事件の影響で、現地で日本人排斥感情が芽生え、パナマに逃げたこともあった。

中南米にいると、日本では経験しようのない事態を平然と目にする。ブラジルに駐在した時に、一時は年間1,000%を超えるインフレを目の当たりに。月当たりでも軽く10%以上商品の値が上がった。ソニーの商品も、月初めに値上げせざるを得ないため、消費者がそれを避ける毎月末日の売り上げが飛び抜けて高くなる珍現象が日常茶飯事に見られたという。

海外営業部の任務は、ソニーのどの商品をいつ投入するかということだ。当時ブラジル支社では、オーディオ製品の売り上げが伸びないジレンマに陥っていた。営業部長だった早川氏はそこで、ディスクマンに目を付ける。だが、ソニーはデッキタイプのCDプレーヤーをまだブラジルで売り出していなかった。「デッキタイプさえ投入していないのに、いきなりディスクマンが売れるわけがない」、「高級すぎるし、すぐに在庫になる」。そうした反対の声を押し切り、早川氏はディスクマンを投じた。「デッキタイプは他社が既に出していたし、それに倣うのは嫌だった。リスクはあるけど、その方が面白い」。

結局、ディスクマンは売れに売れた。最初の半年で月間平均1,000台以上売れ、大ヒットとなった。これが、ブラジルでの営業が軌道に乗るきっかけとなった。

■日本人は今や…

海外生活が長くなり、感じていることがある。80年代に世界の多くの国々から尊敬された日本人が、今はその跡形もないことだ。日本の官僚や政治家の汚職は目を覆うばかり。バブルを境に、日本人に対する海外の見方が痛烈に変化したのをひしひしと感じている。

早川氏は「香港でも、董建華・行政長官にしろ、梁錦松(アントニー・リョン)財政長官にしろ、皆独自の気概や信念を持っている。日本の政治家にはそれがない」と嘆く。早川氏は、これは個を大事にしてこなかった日本社会のツケが来ているためだろうという。ソニーの人材マネジメントでは、早川氏の言う個人の多彩な能力を尊重する理念も反映している。入社面接では長年、志望者に学歴を聞いてはいけないことになっている。

人間は誰でも長所と短所を持つ。そこで、「できる限り部下の長所を見るようにしている。すると、相対的に短所が少なくなっていくんです」。部下が、上司はちゃんと長所を見てくれているんだな、と安心して短所を直そうとする傾向にあるという。休日はゴルフや業界紙を楽しむ。ただし、忙しくて、読書の時間がなかなか取れないのが気がかりだそうだ。(文・西原哲也)

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