2003/03/14

第20回 「人は石垣、人は城」 小沢秀樹・キヤノン香港社長


第20回 「人は石垣、人は城」

1972年夏、ロンドンに向かう航空機の乗客の中に、大学4年の小沢秀樹青年がいた。貧乏旅行ながら、初めての海外旅行だ。ヒースロー空港に近付くと、市内が機内から一望できた。「外国は本当にあったのか」。当然の事実を改めて実感できた。未知の国で、自分たちと異なる民族が生活している。だが、ユースホステルで会う欧州の若者たちは、恋愛、進路、仕事など自分たちと同じ悩みを抱えていた。そして小沢青年の中で、国籍や民族という概念の垣根が、少しずつ取り払われていった――。

1950年、両親の実家のある福井県で長男として生まれたが、その直後に東京の中野区に引っ越した。幼い頃から外向的で陽気な性格だった。

その後、中高一貫の男子校、桐朋学園に入る。生徒ばかりか教師まで、学校にいるのは男ばかりだ。それゆえに、男子生徒たちは女の子に過度の憧れを抱く。「昼食時に学校にやって来るパン屋の売り子がたまに若い女の子だと、行列をなして買い求めてました(笑)」。

小沢少年は、小学校から野球にのめり込んだ。中学、高校と早朝から夜遅くまで毎日厳しい練習に明け暮れる。エースとして、高校野球東京都大会でシード校にも選ばれたという。そして高校3年夏の予選で敗退すると、選手たちは大学受験にまっしぐら……となるはずだが、小沢青年たちは違った。

■貴重な国内営業経験

厳しかった野球部を引退した解放感はこの上もないものだった。坊主頭だった髪を伸ばし始め、大人の遊びに夢中になった。だが時代は、動乱期の最中だ。それまで沈静化していた学生運動は60年代半ばから、再び全国規模で再燃し始めていく。それに伴い、大学の受験体制は混乱を極めていた。そうして69年に東大安田講堂事件が起きる。小沢氏は、遊び暮れながらも試験勉強を始め、機動隊と学生が衝突する中で、慶応大学法学部を受験したという。

わずか数カ月の受験勉強で首尾よく入学できたものの、大学封鎖の影響でほとんど授業にも出られない。そこで、映画のエキストラのバイトに精を出した。海外旅行に出たのはその頃だ。英国から北欧、西欧など約10カ国を2カ月間かけて回った。そうして、いずれは海外で働きたいとの思いが膨れ上がっていった。

就職先は「人間生活を豊かにする製品を作るメーカーに」との思いから、キヤノンを選んだ。配属されたのはカメラの国内営業部。一流のカメラを携え、格好良く営業できるはずだ。ところがそんな思いは、もろくも崩れ去った。「実際の営業は大変で、『格好良さ』などとんでもありませんでした」。

キヤノンは当時から、問屋や商社を介さず販売するシステムを作り上げていた。そのため若手社員がセールスマンとなり、茨城県や長野県で、客が3人入ればいっぱいになるような写真店から大型チェーン店まで、小売店を一軒一軒しらみつぶしに回っていく。

この国内営業で小沢氏は、これまでの自分の生活環境とは全く異なる厳しい人生を歩んできた人々に遭遇し、衝撃を受けることになる。思えば小学校から大学まで、周囲の友人たちは多かれ少なかれ、自分と似た境遇の人々ばかりだった。「冷や水を浴びせられたような毎日でした。世の中にはさまざまな人々がいる。言動にも気を付けるようになりました。あの5年間の国内営業の経験は、今でもずっと生きていますね」――。

■ディーラーに顏を売る

小沢氏はその後、突然、ニューヨークへの転勤命令を受けた。婚約していたため、結婚式を半年繰り上げるはめになったという。米国での仕事はカメラの営業と企画だ。キヤノンの一眼レフの米国市場シェアは当時、約35%と圧倒的にトップだった。当時の新商品『AE-1』が飛ぶように売れ、製品が届くと、営業しなくても全てオーダー通り割り振ればいいだけという時期さえあった。

最終的に全米の販売本部長になってからも、できる限りディーラーに自分の顏を売るように努めた。ウォルマートやKマートなど、全米36州にある大手ディーラーと親しくなる。小沢氏は、ディーラーと友好関係を作れるかどうかが、大きな決め手のひとつだという。「ディーラーは『キヤノン』と聞いて、知り合いである『小沢』の顏を思い浮かべる。条件が同じであれば、当然キヤノンの製品を売ってくれるんです」。

小沢氏は結局、ニューヨークに12年間、シンガポールに7年間駐在した。人種のるつぼの中での生活で痛感しているのは、人は皆、個人として判断されるべきことである。国籍、人種、民族が異なっても、それらをステレオタイプに見るのは愚行だということだ。

小沢氏が、学生時代の海外旅行で、国内営業で、そして海外営業で学んできたのは、興味深いことに共通している。境遇がさまざまであっても、消費者である「人」を、取引先である「人」を、部下である「人」を尊重する――。「『人は石垣、人は城』ですね。ビジネスの土台になっているのは、人間なんですから」。(香港編集部・西原哲也)

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