2003/02/28

第19回 「なせば成る」で切り開く 加藤勝也・石川島播磨 (I H I) 香港社長


第19回 「なせば成る」で切り開く

1989年3月24日日曜日、東京――。子どもとキャッチボールを楽しんでいた加藤勝也氏に、本社から緊急連絡が入った。石川島播磨が建造指導した米エクソン社の巨大タンカー「エクソン・バルディーズ号」が、アラスカ沖で座礁したという。4万トンの原油が流出し、史上最大規模の海洋汚染を引き起こす衝撃的なニュースだ。営業を担当したのは自分だ。「製造責任で損害賠償を負うことになったら重大事だ」。人生最大の試練に立たされた加藤氏は、矢も盾も堪らず、会社に向かって走り続けた――。

1942年、大阪の池田市に生まれた。姉2人、妹2人に囲まれた長男だった。そしてまだ5歳の時に父の実家の福井県坂井町に引っ越した。

その翌年の1948年6月28日、北陸地方を福井大震災が襲った。死亡者は3,800人以上、倒壊家屋は4万6,000戸に上った。実家で和裁教室を開いていた母はその時、教え子たちとともに外に逃げようとしたが、加藤氏が寝ていることを思い出してとっさに家に引き返す。

その瞬間だった。2階建ての家は、ごう音とともに崩れ落ちた。ところが、裁縫台と火鉢の隙間で、加藤少年は生きていた。母に抱えられ、洩れ明かりと土埃が織りなす光模様を静かに見つめていた。母はその後も口癖のように話す。「勝也がいたから助かったようなもの。あの時死んでいたと思えば、どんなつらいことがあっても生きていける」――。

加藤青年は、家のしつけが厳しいながらも自由奔放に育ち、中学、高校では生徒会長を務め、卓球部のキャプテンとして活躍した。県大会で8位に入賞したこともある。弁論部でも腕をならした。ある時、北陸3県の高校弁論大会で「私の尊敬する人(両親)」という題で最優秀賞を獲得した。そこで北陸代表として、早稲田大学雄弁会主催の「全国高等学校弁論大会」に出場するため、風呂敷包みをぶらさげて初めて上京する。東京は、驚きの地だった。見るもの聞くものすべてが新鮮で、圧倒された。「井の中の蛙じゃダメだと実感しましたね」。そうして加藤青年は東京ヘの憧れを抱き、慶応大学の法学部に入学を果たす。

■井の中の蛙じゃダメだ

加藤青年は、スポーツアナウンサーを目指すが、「生来の大阪弁が抜けなくてあえなく断念(笑)」。それならと、ビジネスマンへ方向転換した。日本は高度成長期に入り、輸出全盛の時代。これから英語が必須の時代になるはずだ。そこで英会話学校に通って勉強したという。

加藤青年は、1965年に知人の紹介で石川島播磨重工業(IHI)に入社する。配属されたのは、名古屋造船所の船舶輸出営業部。ノルウェー船主向けの貨物船8隻の工場営業部員として、外国人監督らとの打ち合わせをこなす。ここで英語の力が生かされた。だが、外国人の身の回りの世話までさせられるのには閉口した。会社から60万円の現金を持たされ、京都の料亭での豪遊接待に付き合わされる。「なんでこんなことしなきゃいけないんだと不満でした(笑)」。

70年代には、日本の造船技術は世界で抜きん出ていた。その頃、IHIに対し、米国の有力造船所から、造船技術を買いたいとの要請が持ち上がった。年間30億円に上る独占的コンサルタント業務だ。米国では、「JapaneseInvading(日本の侵略)」と大々的に騒がれたという。加藤氏は77年にニューヨークに赴任し、この事業の営業担当として奔走した。

■キティホークに技術供与

この事業が成功して83年に帰国すると、米国側から今度は、海軍の空母にも技術提供してほしいという要請が届いた。これが報道されるや、日本国内で大議論を巻き起こした。日本では、武器や軍事技術を海外に提供するのは政府の了解事項に抵触する。だが米国にしてみれば、日米安保条約の枠組み内で了解されているはずである。

北米部副部長だった加藤氏は、社内の慎重意見を抑え、「この造船技術は軍事技術ではない。たまたま空母の一部に使われるだけ」として、技術供与断行を主張した。そうして国会での論戦の末、技術供与は最終的に認められた。それが、米海軍の巨大空母「キティホーク」の近代的改造につながった。

数年後、今度は世界を揺るがす大事件が加藤氏を巻き込んだ。エクソン・バルディーズ号の座礁だ。会社に駆けつけた加藤氏は、契約書を再確認したが、頭の中が真っ白になり、動転して文字が頭に入らなかったという。

そして数日後、事故調査の結果が公表された。事故原因はなんと、操舵士と船長の酒酔い運転だった。IHIの責任は皆無だ。「でも数日間、生きた心地がしませんでした(苦笑)」。

数々の修羅場をくぐり抜けた加藤氏が、これまでのビジネス経験で痛感している人生訓がある。それは福井の少年時代にさかのぼり、小学校の担任が教えてくれた上杉鷹山の格言である。「なせば成る、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人のなさぬなりけり」――。

それは即ち、地震で九死に一生を得た母から受け継いだ思いでもある。(香港編集部・西原哲也)

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