2003/02/14

第18回 「ジーンズ御三家」を制覇 矢沢哲男・YKK香港社長


第18回 「ジーンズ御三家」を制覇

1987年夏、米テキサス州――。ジーンズ大手リーバイスの工場で、ボタン取付機の導入審査が行われていた。新任の矢沢営業部長率いるYKKと、地場のユニバーサル・ファスナーの一騎打ちだ。手に汗握る接戦の末、リーバイスが軍配を上げたのは、ユニバーサルの方だった。矢沢氏は会社に進言した。「時間を買うためには、やはり『あの手』しかなさそうですね」――。その瞬間、YKKはユニバーサルを全面買収してジーンズ御三家を完全制覇する第一歩を踏み出した。

1952年に静岡県清水市に生まれ、富士山を眺めながら育った。矢沢青年は清水東高校に入るが、高校2年の時に父親の転勤で長野県松本市に引っ越した。

地元の伝統校、松本深志高校に編入するが、受験一本やりの清水東とは全然校風が違うのに驚いた。生徒は制服に縛られず下駄を履いて登校し、教師も生徒を大人扱いする。天気がいい日には桜の下で授業し、生徒同士で日本の将来について議論する。バンカラで自由奔放な雰囲気だった。「高校でこうも違うものかとカルチャーショックを受けました」。

矢沢青年は高校卒業後、早稲田大の理工学部に進学する。ある時、理工系学生を対象にした海外企業研修制度に応募して受け入れられた。世界各国から集まった理工系学生が同じ寮に泊まって生活し、企業研修を受けるという貴重な体験だ。矢沢青年が派遣されたのはギリシャのピレウスにある国営火力発電所。欧州の機械・計測器は、大半がドイツ製だったことが強烈に印象づけられたという。

■米国駐在22年

帰国した矢沢青年はこの体験に刺激を受け、海外で働くことに興味を持ち始める。就職希望先はメーカーだが、「大学で遊びまくっていた」ために、入れる会社などないのではないか。心配しながらも、海外展開を積極的に進めていた吉田工業(YKK)に採用された。

75年に入社した矢沢氏は貿易部、経営企画室を経て、2年後にニューヨークに赴任する。この年から矢沢氏には、実に22年間に及ぶ米国生活が待ち受けていた。ところが矢沢氏は当時、日本に婚約者を置いてきていた。米国に長期駐在するつもりなどない。「婚約有効期間は2年でしたから、会社になんとか1年で帰らせてくれと頼みました」。

だが、それもかなわなかった。矢沢氏は急きょ帰国して結婚式だけ挙げ、また米国にとんぼ返りしたという。式の準備をすべて彼女に任せたため、「今でも妻には頭が上がりません(笑)」――。

米国での業務は、22年間有給休暇を取ったことがないほど多忙を極めた。ロサンゼルス支社に異動した矢沢氏が担当したのは主にかばん・ジーンズ用ジッパーの営業。YKKのジッパーが誇れるのは、原材料の溶解から製造まで全工程の機械を自前で開発しているため、高品質でムラがないことである。ジッパー自体はローテク商品だが、その過程にはハイテク機械が導入されているわけだ。

ある時、矢沢氏のもとに『Guess Jeans』というブランド企業がわずか100本のジッパーを買いに来た。まったくの無名ブランドだ。ところがこのブランドはその直後、爆発的に売り上げを伸ばし、一躍アパレル業界のスターブランドにのし上がった。これに伴ってYKKへのジッパー発注量も数百万本単位に増えた。こうした新生ブランドの隆盛は米国のアパレル業界ではよくあるという。

矢沢氏はロスに5年いた後、ダラスに5年、アトランタに7年駐在した。赴任した当初の全米ジッパー市場のYKKシェアは14%だったが、次々にライバル企業を駆逐し、任期後半には80%以上を占めるまでに急成長した。2番手は事実上存在しないわけだ。ジッパー部門の責任者だった矢沢氏は、ついにユニバーサル社の全面買収に成功し、ジーンズ御三家と呼ばれる「リーバイス」、「ラングラー」、「リー」のジッパー・ボタン部門を完全制覇する道筋を付けた。

■YKKメキシコ設立も

矢沢氏は「商談のタイミングの重要さを痛感している」と話す。顧客が結論を出したい時のタイミングを見計らうのが大切だという。また「顧客の視点で誠意を尽くすと、YKKファンが生まれる。米国の雇用流動性は激しいので、アパレル業界のシェア獲得競争では、これらファンが絶大な力となるんです」――。

米国は95年のNAFTA(北米自由貿易協定)加盟を機に、製造拠点をメキシコに移し、国内の産業空洞化を強めていく。矢沢氏はそこでYKKメキシコ社の設立にも尽力した。米国では、公正で高品質であれば、人種の壁を越えて受け入れられる懐の深さを感じたという。

アトランタの後に赴任した香港でも、製造業の華南移転という米国と同様の現象が見られる。米国という巨大輸入市場から、中国という巨大輸出市場に身を置き換えたわけだ。

香港の街中の洋品店をのぞくと、いつもジッパーにばかり目が行ってしまうとか。休日には、夫人とよくショッピングに出掛ける。「自分は『デート』って呼んでるんです(笑)」――。(香港編集部・西原哲也)

NNAからのご案内

出版物

SNSアカウント

各種ログイン