2003/01/31

第17回 取引先の成功が一番の喜び 御手洗徹・UFJ銀行香港支店長


第17回 取引先の成功が一番の喜び

2002年6月、香港に再赴任した御手洗徹氏は、恒基兆業地産の李兆基会長、新鴻基地産の郭炳連副会長など、地場経済界のそうそうたる顔触れとの再会を果たした。ところが彼らに耳を傾けると、異口同音に日本の銀行に苦言を呈す。アジア金融危機後、香港から早急に撤退したことへの苦言だ。だがそれは、期待の裏返しでもある。「皆、邦銀が立ち直るのを待つと言ってくれるんですね。われわれアジアのリーダーなんだから、と」――。

御手洗氏は1951年、九州の大分市に生まれ、男ばかり3人兄弟のニ男として育った。自然豊かな土地で、中学校近くの山に切り通しがある。通学途中でその壁を崩すと、アンモナイトなどの貴重な化石が面白いように見つかった。考古学者になることを夢見ていた。

進学校の上野が丘高校に進学した頃、有人探査機アポロが月面着陸に成功した。新しいテクノロジーの時代が幕を開けると信じた御手洗青年はアポロに触発され、将来はエンジニアになるのだと進路を変更した。

エンジニアになるには当然、理系大学を目指す。京大工学部を目指して東京で浪人したが、同志社大学を受ける友人から、同大経済学部の願書を譲られた。受験慣れのため受けたところ、京大には落ちてしまったものの、同志社の経済には受かった。エンジニア一直線だったはずが、ひょんなことから文系学部に入ってしまった。これは御手洗青年にとっては「人生の大転換」だった。

■「銀行員」にたどり着く

実は浪人中、実家の父親が脳梗塞(こうそく)で倒れていたことをこの時初めて知らされ、二重の衝撃を受ける。家族の不測の事態に直面し、進路の運命を受け入れざるを得なかった。

大学では英語サークルに所属し、昼夜英語漬けの学生生活を送った。OBは、ほとんどが商社で活躍している。自分もきっとそうなるのだ。そして就職活動では、商社の集まる大阪本町に足しげく通った。そんなある日、三和銀行(当時)の説明会に顔を出したという友人がいた。銀行など考えたこともない。ところが翌日地下駅を出ると、目の前にその銀行があるではないか。ここでまた「大転換」が訪れた。考古学者、エンジニア、そして商社マンを経て銀行員にたどり着いたわけだ。「恥ずかしながら、進路はいつも一貫してないですね(笑)」――。

三和銀行に入ると驚いた。「ネクタイの色や、髪の長さまでチェックされるほど保守的だったんです(笑)」。

御手洗氏は大阪本店で海外業務の研修生として為替業務を身に付けた後、1982年に三和銀100%出資の三和銀ロサンゼルスに転勤する。赴任するといきなり申し渡された。「明日すぐ自動車免許を取って、地場企業を回れ」。ところが仕事上の英語はほとんど聞き取れない。「取引先との交渉はちんぷんかんぷんで、事務所に帰ってから地元スタッフに電話で聞き直してもらってました」。

その後、転勤したサンノゼのシリコンバレーでは、約60社を担当した。当然エレクトロニクス企業が多い。御手洗氏は、毎日顧客通いを続けるうちに、いつの間にか半導体に関する知識が身に付いていた。機械を見ただけで半導体の種類が想像できた。「銀行の中では、当時一番詳しくなったんじゃないかな。『門前の小僧』ですね」。

御手洗氏は、米国勤務の約6年間を含め、20数年間営業を担当してきた。偶然と言えるのか、御手洗氏が担当した企業融資で、これまでデフォルトになったケースは1件もないという。

■「あいつが担当すると…」

香港に最初に赴任したのは1990年。三和銀は当時、信用リスク相応に利益率が高い地場中小企業への融資を拡大しており、工業区の観塘に支店を開設。御手洗氏が支店長に就いた。ここでも1年で黒字を達成。不良債権は1件も出なかった。「『細かく財務分析しているフシはないのに、あいつが担当するとなぜか不良債権が出ないんだな』と皆から不思議がられましたね(笑)」――。

地場の大企業幹部との付き合いを深めたのはその後だ。三和銀は当時、香港の外銀の中では収益規模がトップだった。香港の成長を金融面で支えるのは日本の銀行だと言われるほど、プレゼンスが高かったという。

だがそれは、アジアの金融危機と銀行本体の不良債権問題のために、急速にしぼんでいく。それに伴って、邦銀は香港から足早に資金を引き揚げた。「『日本の銀行は、ドラスチックな欧米の銀行とは違うと思っていた』と言われてつらかったですね」。だが、日本に対する期待は痛感したという。

今回の香港赴任は2回目だ。これまで華東も華南もよく見てきたが、楽観一方の対中投資は禁物というのが持論だ。「でも一番うれしいのは、取引企業が成功することです」。

休日にはウオーキングを心がけている。「7~8キロは歩きますよ。ゴルフ場でね(笑)」――。(香港編集部・西原哲也)

NNAからのご案内

出版物

SNSアカウント

各種ログイン