2003/01/17

第16回 夢は大きく、仕事はコツコツと 筒井和彦・日商岩井香港社長


第16回 夢は大きく、仕事はコツコツと

1978年、米オレゴン州ポートランド――。当時26歳の筒井和彦青年が、日商岩井と提携しているスポーツシューズ大手ナイキのロジスチック担当として、日本から送り出された。アタッシュケースを提げて、洒落た街並みを楽しむ。そんなバラ色の米国生活を夢見ていたが、実際はまるで違った。現場では手計算で事務をこなし、デスクは書類の山だ。「なんだこれは。顧客との商談で息つく間もないうえに、夜中まで書類作成に追われているじゃないか」。そこで、筒井青年は考えた――。

1952年、東京の高田馬場に生まれた。母方の祖父が目白の教会でキリスト教の牧師をしていた。高田馬場は古くから大学通りとして栄えた繁華街で、筒井氏が通った小学校の校庭は当時既にアスファルトだったという。「野山を駆け回ったという知人の昔話を聞くとうらやましかったですね」。

筒井少年は比較的大人しい少年だったが、中学に入るとバスケットボールで頭角を現わす。都大会の新人戦で4位に入る活躍も見せたという。

筒井少年の精神的成長には、牧師の祖父の影響が大きい。米国で聖書を勉強した祖父から体験を聞くと、海外文化は強烈に印象づけられた。YMCAでの英語教室や、米国人牧師が教会で教えるバイブルクラスにも進んで通ったという。「でも実は、クラスの後で出されるケーキが欲しかったんですけど(笑)」。

■物流システムを考案

筒井青年は、新宿高校でもバスケ部の主将として活躍。その後入学した慶応大学でもバスケに明け暮れた。練習が午後9時に終わってから六本木のクラブでバーテンを午前3時までやり、それから大学に行った時期もあった。

そんな筒井青年が就職先として迷ったのは、伊勢丹デパートと日商岩井だった。「高校時代から練習後に試食コーナーをハシゴしたりして(笑)、デパートの接客業界には興味あったんです」。祖父に導かれたのか、結局、後ろ髪を引かれる思いで後者を選ぶ。

75年に日商岩井に入ると、受渡部食料課に配属される。担当したのは、畜産・水産関係の輸入業務だ。マイナス45度の超低温で冷凍したマグロを輸入し、冷凍庫への保管に立ちあう。「真夏になると、外気との気温差が75度にもなる。たまんないですよ(笑)」。

また当時は牛肉の輸入枠制度があったため、ボーイング機をチャーターして牛を生きたまま輸入した。「浦和にある解体処理場に連れていくと、牛は本当に涙を流すんです。しばらくステーキは食べられませんでしたね」。

3年後、筒井氏はナイキ本社のある米ポートランドに転勤になった。ナイキは当時、商品デザイン・マーケティングは自社でやり、生産管理・仕入れは日商岩井に任せていた。そのロジスチック部門を任されたのが、筒井氏だった。スポーツシューズ市場ですい星のように現れたナイキが急拡大していたころだ。

ところが、売り上げの急増と平行して、仕事量も増える。日常業務は完全にパンク寸前だ。これではらちがあかない。業を煮やした筒井氏は、ナイキ用のサプライチェーンシステム構築を考案した。発注データを得た後は、全てコンピューター管理しようという試みだった。1年半を要して開発したこのシステムでロジスチックサポートが進み、ナイキはさらに業績を伸ばし、86年には10億米ドルの大台を突破。筒井氏が赴任した当初から約10倍になっていた。

■ナイキジャパンを立て直す

一方で、当時日商岩井との合弁会社だったナイキジャパンは、不良在庫の山に苦しんでいた。日商岩井はナイキの持ち株51%を買い取って100%子会社にし、再建に乗り出す。そこで、帰国した筒井氏がポートランド当時の関係者とともに、構造改革に奔走することになった。当時の販売・流通は、出荷したらおしまいの問屋任せだった。ある日問屋や小売店の在庫を開けたら、不良在庫だらけだったというわけだ。

同社はそこで、市場を把握して在庫管理するよう、全社のコンピューターを入れ替える大掛かりなシステム改革に取り組んだ。このサプライチェーンシステムも、筒井氏のコンセプトに基づいて作られたものだった。それらの改革の結果、わずか3年で数十億円規模の累積赤字を一掃してしまったという。

物流システムを考案し、膨大な赤字に苦しんだ企業を立て直す。たばこ輸入や海外での植林など、さまざまな事業にも参画した筒井氏だが、モットーは意外にもシンプルだ。「世の中がどちらに向かって進むかを見定めたら、後は毎日目の前の事をやるだけです。夢は大きく、でも実際はコツコツと、ですね」――。

香港とはこれまで無縁だった。「暑いし人が多いし勘弁してよという感じだった」が、最近香港島南部に引っ越した。窓の向こうは大自然が彩る。「野鳥のさえずりと青い海を見て、今日も頑張ろうかなという気になりますね(笑)」。(香港編集部・西原哲也)

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