2002/12/13

第14回 3つの『F』を胸に 水野洋一・香港三菱商事社長


第14回 3つの『F』を胸に

1970年夏、東京――。大学紛争で校舎が閉鎖されたため、水野青年はアルバイトに励んでいた。欧米人団体ツアーガイドの仕事だ。当時、万博ツアーの急増で旅行会社は多忙を極め、大学生までもガイドに駆り出していた。ガイドの仕事はトラブル続きだったが、水野青年は幾組もの米国人夫婦にかわいがられた。「いつか米国に遊びにおいで」――。そして水野青年は翌年、金を貯め、全米に散らばるその夫婦たちを実際に訪れて歓迎されることになる。それはまるで、後に全米をくまなく回る商社マンになるための、下準備のような体験だった。

1950年、台東区の下町に生まれた。少年時代はよく周囲を笑わせる賑やかな性格だった。日本画家だった母方の祖父の血を引いたのか、水彩画が得意だったが、中学に入ると「才能がないのに気が付いて(笑)」、ブラスバンドに関心を移した。ベンチャーズにあこがれて仲間とバンドも組んだが、「これも才能がないのに気が付いて(笑)」、都立高校時代はバスケットボールに熱中した。

テレビドラマやラジオなど米国文化に強い影響を受けて育った水野青年はこの頃から、将来は商社マンとして海外に行きたいと思い始めていた。その頃、雑誌カメラマンだった叔父に、英国人の見習いがいた。そこで水野青年は、毎日のように叔父の仕事場に出掛けては、英会話の秘密コーチを受けたという。

■海外50カ国以上に出張

その後水野青年は、高校卒業と同時に青山学院大学に進み、ESSに入る。ESSとは、200人以上のメンバーを抱える大規模な英語サークル。毎日の学習会に加え、スピーチ大会に参加したり、英語劇で主役も2回務めたという。

ツアーガイドの仕事が舞い込んだのはその頃だった。「『学生だから下手でも堪忍してね、そのかわりチップはいらないから』、お客にそう言っておいたんです(笑)」。水野氏がその15年後にニューヨークに駐在した時にも、ツアー客の老夫婦との再会が実現したという。

水野青年は卒業して三菱商事に入り、商社マンになるかねてからの希望は実現した。所属したのは、大阪の繊維産業資材部。主に担当したのが、タイヤコード用繊維素材の輸出だった。タイヤコードとは、レーヨンやナイロンなどの合成繊維原糸に強い捻りを加えてすだれ状に織り上げたもの。タイヤの脊髄として、補強に重要な役割を果たす。

時代は高度成長の末期で、取引先に見積もりを出したら即契約につながる。市場に大きな活気があった。三菱商事のタイヤコード課は、当時の繊維産業資材部の中で稼ぎ頭だった。ところがある日、課長が病で倒れ、たった2人で全業務をこなさねばならなくなった。毎日のように帰宅が丑三つ時になる。そんな状態が2年も続いた。新入社員なのに、有無を言わさず頻繁に海外出張する。訪れた地域は50カ国以上に及んだという。

水野氏は、85年にニューヨークに駐在する。だがニューヨークには、繊維産業資材関連の取引先はいない。P&Gならシンシナティ、グッドイヤーはオハイオ、デュポンはデラウエアというように、取引先は企業城下町のように全米各州に点在している。そのため水野氏は、週の大半を米国内出張で費やす。飛行機でその都市に着くやレンタカーを借り、公衆電話用に25セント硬貨を山のように抱えて道を尋ねながら顧客を訪ねる。「出先から別の都市の顧客に電話して値段交渉したり、秘書に電話して指示したり。州を越えると硬貨はすぐ無くなるんです。携帯電話が当時あればどれだけ楽だったことか」――。

■売り上げを約4倍に

水野氏は、駐在した6年間、全米のほとんどの州をくまなく回った。その間、光ファイバーなどの新規顧客を開拓し、繊維産業資材関連の顧客数、売り上げを共に約4倍に伸ばしたという。水野氏が帰国したのは91年。日本が泥沼にはまっていくのと反比例して、米国は好景気を取り戻し始める頃だった。

三菱商事は昨年、従来の営業部制を廃止し、商品・ビジネスモデルベースで管轄する約180チームのビジネスユニット(BU)制を導入した。BUは、初期投資の「成長型」、キャッシュフローを生む「拡張型」、撤退を含めて見直す「再構築型」に分類される。BU同士を競わせ、不採算事業から素早く撤退するのが狙いだ。水野氏は東京本社で、繊維本部機能材のBU長を務めた。

仕事上心がけてきたことがある。それは、3つの『F』だ。顧客にも仲間内にも姑息なことをしない『フェア』、世の中の流れに取り残されない『ファースト』、そして、過去の常識にとらわれない『フレキシブル』だ。香港に来たのは今年の2月。香港と華南のビジネスでも、3つのFの重要さは身に染みるという。

誕生日は1月17日。「不思議と大きな事件がこの日に集まるんです。ロサンゼルス大地震、湾岸戦争、阪神大震災とかね。明るい話題は山口百恵の誕生日と一緒というくらいかな(苦笑)」――。(香港編集部・西原哲也)

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