2002/11/29

第13回 直面する難題は逃げずに 久保哲也・三井住友銀行香港支店長


第13回 直面する難題は逃げずに

1990年春、ロンドンの金融街シティ――。住友銀行ロンドン支店長代理だった久保哲也氏は、英紙フィナンシャルタイムズの全面広告を、安堵と満足感の入り交じった思いで見つめていた。そこには、住銀が単独で主幹事を引き受けた、英ストア大手アスダに対する500億円の超大型協調融資のトゥームストーン(融資実績広告)が掲載されていた。それは久保氏が事実上取り仕切った、邦銀が当地で手掛けた最大のノンリコースローンだった。融資を手がける銀行マンにとって、トゥームストーンは金字塔である。「他行に全額さばけるかどうか、想像を絶するほど肝を冷やすんです」――。

久保氏は1953年、鹿児島県加世田市に生まれた。加世田市は、日本3大砂丘の吹上浜南端に位置する、藩政時代からの城下町だ。だが産業に乏しく、典型的な過疎の街だった。「でも自然が美しくて、知らない人にはいつも『東洋のナポリだ』って言うんです」。

父は神戸に出稼ぎに出ていた。生活するのに忙しく、母親と祖母には幼い頃から勉強しろと言われたためしがなかった。海外文化への好奇心旺盛な少年で、鹿児島市まで出掛け、なけなしの金をはたいて米国映画をよく見た。

高校生の時には、授業形式を変えるよう提案するなど、自分の意見を積極的に表明するのをためらわず、悪いことは許せないという勧善懲悪的な性分だった。そのせいか、将来は検事か弁護士になりたいと思っていた。

■「世界経済白書」を作成

久保青年は高校卒業と同時に、京都大学法学部に入る。そして在学中に司法試験を受けるが、落ちてしまう。自信があっただけに、こればかりはショックだった。ちょうどその頃、病気の父親が生死をさまよう状態にあった。5年生で合格することを目指して留年する仲間たちを横目に、久保青年は「家に迷惑はかけられない」と、進路変更を素早く決意。そして、熱心に誘ってくれた住友銀行に入ることとなる。

住銀に入行すると大阪本店の営業部預金課、4年目に東京の国際企画部に配属した。意外なことに、住銀の人事では、それから霞ヶ関の役所に出向する。

久保氏が出向したのは、経済企画庁海外調査課。『世界経済白書』を編集するのが役割だ。久保氏が担当したのは「フランス経済・EC経済政策について」。経企庁の白書は、絶えずマスコミや経済学者の注目を浴びる。専門家と夜を徹して議論し、分析を重ねた。「白書の一句一文字に、万感の思いを込めたものです」。

その後、米国に留学して東京に戻ると、86年にロンドンに行けと言われた。それから7年間、シティでの融資ビジネスにどっぷり浸かる生活が待っていた。

担当したのは、当時の欧州には普及していなかった不動産ノンリコースローン。ノンリコースローンは、担保を特定物件に限定するため、担保を全て売却して債権額に満たない場合でも、借り手側は一切の債務から逃れられる。そのため、借り手はプロジェクトのリスクを軽減できる。

一方、銀行側は家賃収入などの「果実」分を受け取るが、その分リスクは拡大するというわけだ。そのため不動産ローンは、担保に絡むトラブルが頻発する。

その度に、久保氏はトラブルの沈静化に身を砕いた。「問題が起きた時には、逃げずに相手の場所にすぐに飛んでいき、きちんと相手の目を見て話すことですね。すると相手の理解も早い。ロンドンで相当度胸がつきましたよ(笑)」――。

そうして久保氏はロンドン赴任中、有名なブロードゲート、ITNハウスなど、市内全域の不動産の相当数を手がけた。今でも出張に行き、融資を担当したビルを目にすると感慨深いという。

■「近代的な証券会社を」

その後、久保氏が帰国した93年以降の日本は、金融不況が深刻化していった。山一証券が倒れた後、外資に太刀打ちできる近代的な証券会社を、と住友銀行は大胆な証券戦略を練っていた。

そして98年7月18日――。住銀は、大和証券との提携を大々的に発表して金融業界を仰天させる。住銀が40%、大和が60%出資した大和証券SMBCが営業を開始したのは翌年4月。矢のような改革劇だった。

実は、この斬新ともいえる提携に、合弁会社設立準備事務局長として奔走したのが久保氏だった。久保氏は打ち明ける。「銀行と証券は『水と油』、『農耕型と狩猟型』と言われるように180度文化が違う。そんな両者をまとめるのは本当に至難の業でした」――。

久保氏が香港に来たのはその直後だ。意志を貫く高校時代からの気質は今でも変っていない。自分の意見はスタンドアップして伝えることが大事。単なる総論賛成、各論反対のコメンテーターではだめ。自分自身が積極的にエグゼキュートすべきだ。そうするためにも、相手の話には謙虚に耳を傾けるという。

「綿密な戦略を持ち、絶対あきらめないという気でやり続けると道は開ける。人生捨てたもんではないですね」――。(香港編集部・西原哲也)

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