2002/11/15

第12回 顧客との絆を地道に 武田脩・三菱化学香港社長


第12回 顧客との絆を地道に

1971年末、東京――。日中国交回復を間近に控え、三菱油化は一抹の不安を抱えていた。台湾の化学メーカーに出資していることが、国交回復後に何らかの障害を招くのではないかとの懸念だ。そこで、迂回出資を目的に、香港に投資管理の現地法人を設立することになった。この現地法人が、現在の三菱化学香港の前身である。この時、現法の最初の駐在員を任されたのが、当時ポリプロピレンの販売部門にいた武田脩氏だった。

武田氏は1943年、大阪に生まれた。その後、父親の関係で6歳の時に北九州市に引っ越した。機械いじりが大好きな少年で、工作用板を削ってモデル飛行機や船を作って遊んだ。その後小学校4年で東京に引っ越し、国立の中高一貫教育校に入る。中間に受験がないため、何でも許される雰囲気だった。武田少年は12歳から原付バイクを乗り回し、自転車にエンジンを取り付けて改造したりした。

そして大学を卒業すると、三菱油化に入る。「祖父、父親、自分と3代続けて三菱系企業に勤めることになりました」。

三菱油化では、事務系新入社員の多くは、最初に経理部に所属する。ただし単なる経理ではなく、武田氏はそこで、設備投資の審査や予算作成作業に加わった。「新人当時から会社経営の全体を見られたのは後で役に立ちましたね」。その後、大阪支店で合成樹脂ポリプロピレンのセールスを担当することになる。

■ポリプロピレンを販売

石油化学の原料となるのは主に、原油を精製して作るナフサである。このナフサを分解すると、エチレン、プロピレンなどの基礎化学品が作られる。そして基礎化学品を原料として作られるのが、高分子化合物である合成樹脂の中間原料だ。ポリプロピレンは特に、軽く、絶縁性、耐薬品性に優れているため、部品や工業用成型品に使われる。武田氏が担当したのは、自動車部品などに使われるポリプロピレンだ。日本は当時、高度成長期の途上で、急速にバッテリーケースのポリプロピレン化が進んでいた。

合成樹脂が難しいのは、ある一定の条件で形状が変化する金属とは異なり、性質に大きな幅があることだ。化学メーカーは、バッテリーメーカーや成型会社の双方が要求する性質のポリプロピレンをいかに作るかに骨を折る。だが逆に言えば、高分子化合物であるがゆえに、自社特有の性能を持つポリプロピレン製品ができあがるともいえる。

武田氏は、幾多もの顧客を訪ね歩いて要望を聞き、研究者とともに最適な重合割合と精度を持つポリプロピレン開発に参与した。これが当時、日本電池社の自動車バッテリーの新商品『GS7』に採用された。GS7だけで月間約50トン、売り上げは月約750万円の受注だった。「最終ユーザーから、成型会社まで要求を満たそうと思えば、しわ寄せが全て原料会社に集まるんです。要求をひとつひとつ解決していかなければならない。御用聞きみたいでしたね(笑)」。

72年に香港の現地法人に駐在すると、本社から投資管理だけでなく、自分で稼げとせっつかれた。そこで、販売ルートが固定されていた石化原料は避け、関連会社商品の販売を始めた。そして香港市場で、ワイシャツを包む袋や、タバコの包装などに使われるフィルム樹脂の販売を手がけた。その結果、年商はゼロから5年間で15億円に増えたという。

■グローバル化を予測

日本の石油化学産業は、政府の育成計画もあり、70年頃まで急成長したが、73年の石油危機を発端に、安価なナフサの調達が困難になり転機を迎える。過当競争や公害の深刻化も加わり、業界の目は海外に向かった。

武田氏はその後帰国。香港で商品を受けるキャッチャーだった武田氏は、東京から世界中に石化原料を送り出すピッチャーに立場が変わる。

当時、高関税で非関税障壁もある日本では高価格で販売し、海外では余剰分を安値で処分していた。こうした日本の商売慣行の中で、自由競争の香港市場を見てきた武田氏は、いずれ海外と日本の間で価格の平準化が起きるだろうと予測していた。日本慣行は崩れ、市場がグローバル化するというわけだ。

「マーケットはどこでも同じ。いい客は海外でも尊重すべき。そんな営業アプローチが香港でも必要だろう、ピッチャーやりながらそう思いましたね」。実際、市場はその通りになった。業界はバブル崩壊後、需要低迷と共に、企業統合や事業再編を急ぐ時代に突入していく。そして94年、三菱油化は三菱化成と合併し、三菱化学に生まれ変わった。

長年香港市場を見てきた武田氏は、96年、再び香港に来た。そして、丁稚奉公的に顧客との絆を地道に作り上げる日本的セールスのノウハウを香港にも持ち込んだ。香港法人の年商は現在、160億円にまで拡大したという。

休日には、友人と沖合いまで船釣りに出掛ける。重さ5キロのスズキが釣れるそうだ。「香港人の友人が経営するレストランで刺し身にして皆で食べる。最高の楽しみなんです」――。(香港編集部・西原哲也)

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