2001/11/05

第50回 韓国・東亜大塚<大塚製薬>、「商品への愛着と誇り」が経営の身上



東亜大塚の本社に入ると、おなじみの缶やペットボトルが目に入った。同社はイオン飲料1位の「ポカリスエット」を武器に、韓国市場で急成長を続ける優良企業だ。では、同社が業績を順調に伸ばしている秘けつは、一体どこにあるのだろうか。

田村部長、丘部長

同社が設立されたのは1987年。韓国の東亜食品と大塚製薬が50%資本参加してスタートし、「ポカリスエット」の販売を開始した。当時の社名は東亜食品で、現在の「東亜大塚」に社名変更されたのは、今から10年前の92年のこと。

それまで韓国にはなかった「機能性飲料」をどう売り込んでいくかが最大の課題。東亜大塚の戦略は「高付加価値商品」としてのアピールだった。コーラが200~250ウォンだった当時、ポカリスエットは500ウォン(240ミリリットル缶)で発売された。

ちょうど88年には、ソウルオリンピックが開催され、韓国でも健康ブーム、スポーツブームが起こった。また、「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長で、韓国経済が活気づく時期と重なった。時代は追い風だった。

初年度の97年には、売上高332億8,400万ウォン(約33億円)を記録し、98年からは年平均で20%の急成長を続けた。

もちろん、同社の経営がまったく順風満帆だったわけではない。アジア通貨危機のあおりで、98年には売上高が約30%急減。コストダウンを余儀なくされ、人員削減や減給などのリストラを断行した。

翌年には業績を回復し、今年の売上高も、目標達成は確実な見込みだ。「ポカリスエット」は現在、シェア50~60%を確保、独走を続けている。

商品
商品への愛着と誇り

〈商品は育てるもの。値段を安くして買ってもらうのではなく、商品の価値を認めてもらって売っていく〉

これが同社の考え方。「ポカリスエット」を、あえて高い値段で売り出した理由はここにある。

主力の「ポカリスエット」について、田村茂・営業部常務理事は「イオン飲料では、これ以上の商品はない」と言い切る。商品への自信と誇りがひしひしと伝わってきた。

今後はアジア・中近東の攻略に乗り出す方針。欧州に関しては、「スエット」という商品名がネックだという。英語圏の人は「汗」とイメージしてしまうためだ。「では、商品名を変える考えもあるんですか」との質問に、田村理事はこう答える。

「商品名を変えることはありません。ただ、商品の良さを地道にアピールしていくだけです」

■一人一人の顧客を大切に

同社が販売している商品は十数種類あるが、すべて売れているわけではない。「正直、『豆乳』は売り上げが悪いです。普通の会社なら製造を止めていますよ」と田村理事は説明する。それでも、毎月わずかながら豆乳は生産され続けている。理由は何か。

「今でも学校給食なんかで需要があるんです。そんな、豆乳を飲みたいという人が一人でもいる限り、赤字を出してでも生産は続けます」

なるほど。資金の潤沢なメーカーなら、どんどん新商品を開発し、売れないものは排除し、また新たな商品を開発する。だが同社の場合、「世に出した製品には最後まで責任を持つ」というのが基本理念。むやみに商品を増やしたりはしない。

東亜大塚が成長を続ける秘けつはこんなところにあるのかもしれない。顧客一人一人を大切にすることが、引いては企業全体のイメージとなり、最終的には売り上げにつながっていく。

自分のこだわりは決して崩さない。「ものづくり」の基本がここにもある、と思った。

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