2001/08/06

第39回 香港・恒隆白洋舎<白洋舎>、伝統の技と心で汚れを落とす



明治39年(1906年)、日本に初めてドライクリーニング工場を設立した白洋舎は、香港クリーニング業界でも老舗中の老舗だ。戦後初の海外支社として恒隆白洋舎を立ち上げたのは1965年。今では香港最多の店舗数を誇る同社の歴史は、ある偶然の出会いから始まった。

社名に冠している「恒隆(ハンルン)」は、合弁相手である香港の代表的なデベロッパーの名前。店舗物件を探しやすくするための提携かと思えば、「そういう戦略は関係ないんです」と五十嵐昌治総経理は創業の秘話を語ってくれた。

■キリストが取り持った縁

恒隆白洋舎の創業者は、白洋舎2代目の五十嵐丈夫氏と恒隆創業者の陳曽煕氏。白洋舎はもともと、敬けんなクリスチャンだった創業者の五十嵐健治氏が「人のためになり、信仰の時間を妨げない仕事を」と興した事業で、以来キリストの教えは同社の企業文化に反映されている。2代目の丈夫氏も経営のかたわら、日本国際ギデオン協会に所属してホテルなどへの聖書配付を熱心に行った。

一方の陳氏は、戦前に留学経験もあり日本と縁の深かった人物で、たびたび日


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五十嵐総経理(左)と高田篤行工場長
本を訪れていた。彼もまたクリスチャンだったため、ある時から日本のホテルに聖書が置かれるようになったことに気づいて感動。聖書の普及活動をしていた丈夫氏と知り合う。

2人は信仰を通じて友情を育み、やがて白洋舎は恒隆のバックアップを受けて香港進出。尖沙咀に1号店をオープンした。

運営は全面的に白洋舎が担当しているが、影になり日なたになりの恒隆のサポートは、35年以上経った今も変わらない。

■ライバルは物干しざお?

大小1,500社がひしめく香港クリーニング業界は、プロの目から見れば玉石混交。設備や店構えは立派でも、それに見合う技術を持たない業者が少なくない。「クリーニングは利用者に品質の差を伝えにくいものだが、使い続けるうちに、どれだけ手をかけたかの違いが見えてくる」と五十嵐総経理。他社とは仕事の質が違うという自信がのぞく。

同社にとってのライバルは、むしろ一般家庭かもしれない。香港では外国人の家政婦を雇う家が多く、そこでは手間のかかるアイロンも専ら彼女たちの仕事。「窓から突き出す物干しざおが減ってくれれば、それだけ我々の仕事が増えるのだけれど」と五十嵐総経理は笑う。

香港全域38の店舗に出された洗たく物は、すべてホンハムの工場に集められる。毎日数千点を洗うが、決して手は抜かない。1点ずつ汚れ具合を見極め、シミがあれば職人が1つずつ抜く。「洗うだけでも一気に落ちるかもしれない。

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1点ずつ手間を惜しまずシミを抜く

だがシミはすべて成分が異なるので、確実に落とすためにはきちんと段階を踏む」というこだわりだ。

同社は「香港一」と自負する設備をそろえているが、クリーニングの仕事はアイロンやシミ抜きなど人の技術に負うところが大きい。日本から技術者を呼び、研修のため職人を日本へ派遣するなどして常に最新技術を取り入れる。離職率の高い香港にあって、同社は勤続10年、20年の熟練者が多い。日本と香港で積み重ねて来た時間とノウハウが、他社にはまねのできない品質を支えている。

同社では、ピック&デリバリーサービスにも力を入れる。「ご用聞きはクリーニング屋の基本」(五十嵐総経理)ということで、香港中どこでも、シャツ1枚からでも、店舗と同じ価格で引き受ける。このほか、温度・湿度を一定に保った専用室で、毛皮などの保管サービスも行っている。

聖書の中にこんな1節がある――「何事でも自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい」(マタイによる福音書7章12節)。きめ細かいサービスの影には、この白洋舎の基本精神が脈々と息づいている。


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