2001/07/30

第38回 佛山東海精器<東海>、元祖使い捨てライター、高品質を中国に



いわゆる「100円ライター」は、1972年に東海(当時の社名は東海精器)によって生み出された。それから30年で同じような使い捨てライターが世界中にあふれるようになったが、生みの親である東海は品質にこだわる「ものづくりの基本姿勢」を堅持。安価なライターがあふれる中国で、ハイクオリティーを武器に勝負している。

東海の世界進出は、創業からわずか4年目で始まった。1976年に香港で全額出資子会社の香港東海精器有限公司を設立・稼働。同社の海外拠点は現在、13カ国16カ所に達している。 中国本土では1989年に深A特区内で委託加工を開始。委託加工は1994年6月に東莞に移され、その後1997年まで続いた


山野隆男総経理

一方、合弁事業が決まったのは1994年。合弁事業の第一歩は中国本土の状況を探るのが目的で、投資額が少なくてすむ佛山が選ばれた。佛山東海精器への投資額は1,106万HKドル。香港東海精器の出資比率は52%に上る。当初から部品の8割を現地で調達する計画だったという。

生産を開始したのは1995年7月。完成品ライターの60%を輸出し、残り40%は中国国内で販売した(売上ベース)。1998年には黒字転換に成功。東莞での委託加工も終了し、中国での生産はすべて佛山に集約された。

■ガス全面禁止

順調に業績を伸ばしていた佛山東海精器だったが、予期せぬ出来事に遭遇した。広東省江門市で2000年6月30日、花火工場で大規模な爆発が起き、多数の死傷者が出た。この事故の影響で、広東省では花火やライターの生産が全面的に禁止されるという事態に。同年7月には工商局が一方的に同社に生産停止を命令。いくら安全管理を徹底していると訴えても聞き入れられず、結局、ガスを取り扱う業務ができなくなってしまった。

こうした逆境の中にあって同社は、ガスを扱わない部品生産や販促品向け広告ライターの営業で業務を再開し、危機を乗り切ることに成功。現在も従業員280人が同社で働いている。うち管理部門の人員は50人で、深Aで委託加工をしていた当時からの古参社員が多い。困難に立ち向かって会社を支えてくれる人材に恵まれているようだ。

同社は現在、江西省竜南県で工場の建設を進めている。今年10月には敷地面積6万6,000平方メートル、建物面積2万5,000平方メートルの工場が完成する予定だ。来年にも同地に移転し、ヤスリライター、電子ライター、点火棒など完成品の生産、部品の輸出などを始めるという。

着火装置を組み立てる

■東海の中国戦略

佛山東海精器の山野隆男・総経理は、東海と中国ビジネスの始まりから今日までを、自分の目で見てきた人物だ。早くも1976年に香港に入り、1991年ごろからは深Aに通うようになった。

同社の中国ビジネスでの基本姿勢は、「品質と外観の重視」。しかし、中国では部品のバラツキの多さに悩まされた。だが、日本では得がたい若い労働力が、中国には大勢いる。飲み込みが早い上に、優れた視力を有しており、自動機にはかからない部品の組立作業も難なくこなすという。

山野総経理によると、中国ではヤスリライターだけでも月に7億個生産され、うち5億個が輸出されている。中国国内の消費者にとって、使い捨てライターは依然として、「火がつけば、それで十分」という認識しかなく、粗悪品でも安いものほどよく売れる。

こうした中で同社は、広告ライター市場の開拓に力を入れている。企業イメージを左右する販促品には、一定のクオリティーが求められる。品質を重視する東海には、もってこいの分野だ。すでに酒やタバコのメーカー、ホテル、飲食業、それに中国に進出している日系の小売企業からも受注している。山野総経理は広告ライター市場について、安定した需要があるとコメント。「安かろう・悪かろう」のメーカーには真似できない戦略で、中国市場に切り込んでいる。


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