2001/07/23

第37回 田崎真珠(上海)<田崎真珠>、真珠を「真珠」にする技術



のどかな田園風景が広がる上海郊外、南匯区。その豊かな緑を含んだ柔らかな光に向かい、真珠を選別する工員が一列に並ぶ。真珠の美しさは機械や計器では図れない。体で覚えた「田崎真珠」の品質レベルという物差しで、最高の真珠が選ばれ、宝飾品としての命を吹き込まれていく。

真珠の選別に最も大切な環境は自然光。だが、直接日が射してはいけないため、田崎真珠(上海)の作業場はすべて北向きに作られ、工員は大きく開いた窓に向かって作業する。普通の工場では見られない風景だ。窓の外に広がるのは農地の緑と、レンガでできた農家。ビルやアパート、コンクリートの地面などから反射してくる光や蛍光灯などの人工光ではなく、この自然光が、本来の真珠の姿を引きだす。

田崎真珠

「照り」が命

「真珠は形・色・キズ・照りという基準で選ぶんです」と、中嶋紘之総経理。まるでお米のように無造作に容器に入った真珠をざっと、真っ白の布地にこぼす。袖のポケットに差した自分専用のピンセットを握ると、珠に話しかけるようなまなざしで手早く真珠を選別し始めた。素人目にはわからないが、総経理の選び出した真珠は、確かにほかの真珠にはない「照り」があった。中嶋総経理は「1週間も真珠と向き合えば、しっくり見えてきますよ」と微笑む。

同社が扱うのは淡水真珠。蘇州の太湖付近、杭州の山下湖付近の養殖場のもの。毎年11月から翌2、3月までが仕入れ期。一回の仕入れ量の3~4割しか、田崎の品質レベルのものはない。基準以下のものは即返品。淡水真珠の場合、1個の貝から20~30個の真珠が取れるが、田崎として使えるものは1個あるかないかという。人間の手が加わっているとはいえ、真珠は自然の造形物なのだ。

仕入れ期が過ぎると選別工程は閑になるので、工員は後の工程に回る。1人の工員が2工程を担当する。

■「真珠の価値を知る」日本研修

同社は1995年に4社合弁で設立。当初、中国側合弁相手が珠宝工業園区を設立するという計画があり、北向きの用地が確保できること、浦東空港に近いこと、社員の定着率が高いことの4条件から進出を決めた。珠宝工業園区計画はいつの間にか消えてしまったが、残り3条件、特に技術者の高定着率が工場を支える。

96年10月の操業に向けて、現地社員10人を日本研修に出した。選別や加工技術の習得ももちろんだが、この研修には「宝飾品としての真珠の価値を知る」という目的があった。安い淡水真珠が出回っているため、中国での真珠の地位は低い。ましてや上海郊外の農村部では「真珠は宝飾品」という意識はない。そのため、日本で真珠の価値を体得する必要があったのだ。また、真珠言葉ともいわれる真珠の色や照り具合を表現する独特の言い回しを覚え、いまではこのメンバーが中心となり工場が動いている。

選別の次は穴明け。淡水真珠は真円でないため、穴を明ける位置は作業者のセンスが頼り。珠を左手の指先でつまみ形を確かめ、一番いいと思われる位置を探りだし穴を明ける。工機はすべて田崎オリジナルを日本から持ち込んだ。

田崎真珠

穴を明けた真珠に、加工を施す。企業秘密とされる部分で、これが真珠の美しさを最大限に引きだす工程となる。

そして、連組前の選別。溝が彫られた箱の上で、色や照り、光沢が揃った真珠を一連に並べる。同じように見えても1粒1粒が微妙に異なる。なるべく同じ基準で集める。それから、実際に糸を通し、一本にする連通し作業に入る。終了後は輸出部で、同じ品質の連でまとめロットを組み、日本向けに出荷する。

■ジュエリー加工もスタート

同社は2000年に100万米ドル増資し、かねてから計画だったジュエリー部門をスタートさせた。8割が日本からの来料加工で、2割弱を国内で展開している直営店9店で販売している。篠永克也・生産部経理によると、委託加工を通して技術力を高め、徐々に高い技術を要求される1点ものなどを手掛けていく予定という。


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