NNAカンパサール

アジア経済を視る August, 2021, No.79

【アジア取材ノート】

長寿国シンガポール
活気づくシニア産業

シンガポールで高齢者関連ビジネスの商機が高まっている。日本に迫る世界の長寿国の一つとなったが、高齢者産業の成熟度は「日本の10年前」とも評される。だが、ここ数年は肉親による老人介護に対する人々の意識が大きく変化。新型コロナウイルス感染症の流行もあり、老人ホームなどのケア施設が注目されている。(NNAシンガポール 鈴木あかね)

脳卒中を経験したゴーさん(右)は在宅リハビリシステム「H-Man」のレンタル制度を利用している(アーティケアーズ提供)

シンガポール統計局によると、2020年に生まれたシンガポール人の平均寿命は男性81.5歳、女性86.1歳とされ、日本人の男性82.3歳、女性87.5歳に迫っている。

65歳以上の高齢者人口は61万4,400人。シンガポール人と永住権(PR)保持者全体の15%を占める(20年6月末時点)。世界銀行の19年統計によると、世界1位の日本には及ばないが、アジアでは香港、韓国に次ぎ、同じ東南アジアのタイと並ぶ高い水準だ。

そのシンガポールでは「親の面倒は子どもが見るもの。施設に預けるなんてとんでもない」という考え方も根強い。ただ、最近は意識に変化がみられるようだ。

アジア太平洋地域の高齢者産業のネットワーク構築に取り組むシンガポール企業、エイジング・アジア創業者のジャニス・チア氏は「高齢者と子ども世代の双方で意識が変わってきた」と語る。

親が子どもに残せる資産が減少し、子も余裕を持って親を見られる収入は見込めない中、「自分の老後は自分でどうにかする」と考える親世代や、「遺産は譲渡してもらわなくていいから、自分の老後に資金を使って」と親世代に対して言う子世代が増えているという。

介護のため外国人メイドを雇用する家庭は少なくないが、言語と文化の壁や介護の知識不足のためトラブルも起こっている。

こうした背景から、近年は高齢者施設の入居を考える人が増加。現に、居住型長期ケア施設とその入居者、非居住型(通所型)の施設はそれぞれ増えている。

チア氏は、新型コロナ感染症の流行で高齢者施設の利用が加速するとみる。重症化しやすい高齢者を集め、医療・介護のプロが対策を徹底することでリスクを減らせるからだ。

コロナのパンデミック(世界的大流行)を受け、政府は高齢者を「最も厳重に感染対策を施さなければならないグループ」と定義。社会・経済活動の制限期間中は、非同居の家族が高齢者世帯を訪問することを原則禁止にした。

「高齢者専用の公営住宅」の内装イメージ。車いすでも利用しやすいバリアフリー型で、リビング兼キッチン、寝室、バスルームから成る(HDB提供)

その場合、高齢者が自宅で孤立してしまう事例もあることから、専門施設の魅力が見直されている。政府はその施策の一環として、「高齢者施設の一歩手前」とも言える専用の公営住宅事業を始めた。

入居者は65歳以上に限定。入居者同士の交流や運動を促し、24時間の見守りなどのサービスを付帯。住宅棟全体でケアする方針だ。第1弾は西部ブキバトックに建設予定で、2月に入居募集も始まった。今後も、高齢者向けの施設や住宅の建設需要が見込めそうだ。

医療サービスにIT活用
「メドテック」引き合い

シンガポールでは、コロナ流行初期のほか今年5~6月にも、高齢者ケア施設で集団感染が起きた。施設は訪問者を制限することも余儀なくされた。清掃や消毒の徹底が求められる中、先進的な製品やサービスが注目されている。

空気清浄機などを手掛けるシンガポールのメドクリンでは、室内環境でオゾンを発生する特許技術「セラフュージョン」に対する引き合いが増えている。人体に悪影響がない範囲でオゾンを生成することで、空気や家具・壁の表面の細菌やウイルスを死滅させるほか、アレルゲン(アレルギーの原因物質)を変性させることもできるという。

同社のオゾン除菌技術は、新型コロナ対策の一環としてチャンギ空港に導入されている。日系幼稚園に納品実績があるほか、高齢者ケア施設にも試験導入されている。

「高齢者ケア施設において、オゾン除菌機が生産性向上に貢献できる余地は大きいとみている。パートナー企業と共に同施設向けのマーケティングに力を入れている」(同社)

また、高齢者施設では褥瘡(じょくそう=床ずれ)を防ぐため、夜中に介護者が高齢者の寝返りを数時間おきに支援する必要がある。この褥瘡に関するサービスでは、メドテック(ITを活用した医療サービス)企業も注目されている。

テツユウ・ヘルスケアは褥瘡マネジメントのクラウドサービスを提供している(公式ホームページのサービス紹介ページをスクリーンショット)

テツユウ・ヘルスケアは褥瘡マネジメントのクラウドサービスを提供している(公式ホームページのサービス紹介ページをスクリーンショット)

日本人医師とシンガポールの実業家が創業したテツユウ・ヘルスケア・ホールディングスは、クラウドベースの褥瘡マネジメントシステム「CARES4WOUNDS」を提供する。褥瘡の患部をスマートフォンやタブレット端末で写真に撮るだけで、傷の大きさや深さを人工知能(AI)が診断し、適切な処置方針を示してくれるサービスだ。

通院や医師の訪問を待つことなく傷の状況を確認できるほか、直接手で触れる必要がないため二次感染のリスクも防げる。患者、医師、介護者など関係者それぞれの負担を軽減できる点が魅力だ。 現在は、セント・ルークス病院のほか、複数の高齢者ケア施設で導入、活用されている。

テツユウの共同創業者ウン・リーリアン氏は、「褥瘡患者には高齢者が多く、高齢患者のケアの効率化に役立っている」と説明。国内のケア施設のシェア3分の1を獲得する目標を明らかにした。

ある住居型高齢者ケア施設のマネジャーも「日本の介護技術やサービスなど、施設で導入していきたいものはたくさんある。コロナ流行をきっかけに、施設環境を整備する重要性はますます高まっている」と話した。

発声で競う紙相撲
オンラインで白熱

コロナ流行でデジタル化が進む中、シンガポールの高齢者産業でもその傾向は強まっている。エイジング・アジアのチア氏は「新型コロナの流行で、世界的に高齢者のデジタル活用が加速した」と指摘する。身近な例では、高齢者がスマートフォンを使う機会が増えたという。

現地企業アーティケアーズは昨年10月、脳卒中の患者向けの在宅リハビリ用システム「H―Man」を開発した。上肢のリハビリを行うため机に置けるサイズの機械で、患者は画面を見ながら入力装置であるジョイスティックを操作してゲームのような感覚でリハビリに取り組むことができる。

感染の懸念から通院をためらう患者などが、自宅で手軽に取り組めるようレンタルサービスを始動し、好評という。シンガポールのほか、高齢化が進むオーストラリア、ドイツ、中国など他国にも展開を始めている。

日本の「世界ゆるスポーツ協会」が考案したレクリエーション「トントンボイス相撲」は、このコロナ禍を機にシンガポール進出を果たした。

シンガポールと日本の高齢者同士でトントンボイス相撲を行った様子(世界ゆるスポーツ協会公式YouTubeよりスクリーンショット)

トントンボイス相撲は、昔ながらの遊びである紙相撲のいわばデジタル進化版。指で土俵をたたいて紙の力士を競わせる代わりに、マイクに向かって「トントン」と声を出すことで力士が動き、戦うゲームだ。「トントン」と大きな声を自然と発するため、高齢者の喉の機能の向上、誤嚥(ごえん)の防止につながるとしている。

シンガポールにトントンボイス相撲を紹介したのは、化学品専門商社の明成商会(東京都中央区)のシンガポール支店だ。シンガポールで介護関連商品の小売店を運営し、日本の製品やサービスの拡大に力を入れている。

エイジング・アジアとの協業で、シンガポールの高齢者ケア施設の入居者と、日本の介護施設の高齢者のオンライン対戦を実現。試合は白熱したという。

明成商会シンガポール支店の片岡政春支店長は「トントンボイス相撲など、オンラインでもできる『ゆるスポーツ』をシンガポールでもっと広めたい」と話す。

日本では当たり前にある高齢者向けのサービスや商品でも、シンガポールや東南アジアでは画期的と受け止められる事例が多いという。今後もさまざまなアイデア商品やサービスを持ち込む考えで、タイやマレーシアへの横展開も視野に入れている。

長寿時代の商機
東南アジア拡大

東南アジアの医療、高齢者産業に詳しいドイツの経営戦略コンサルティング大手ローランド・ベルガーの諏訪雄栄氏によると、高齢化が進む国・地域では、「元気な高齢者を元気なままに保つ」ことが重要なテーマだ。社会のインフラ整備から娯楽系のデジタルサービスまで、さまざまな手法を通じて「生きがい」を創出し、社会とのつながりを維持することが求められているという。

東南アジアではシンガポール、タイの高齢化が特に進行しており、他国でもかつての先進国を上回るスピードで高齢化が進むとされる。長寿時代の商機は、東南アジアでさらに広がっていきそうだ。

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