NNAカンパサール

アジア経済を視る February, 2020, No.61

【アジア取材ノート】

じわりと変わるタイ国境の町
カンボジアの分業拠点 ポイペトのいま

カンボジア北西部のバンテイメンチェイ州ポイペト。タイとの国境沿いにある町で、近年は労務費の上昇や人手不足に悩む在タイ日系企業の分業拠点として注目されてきた。昨年はタイ企業の大型小売店が開業し、外国人向けサービスアパートの建設が増えるなど市内の開発も進む。一方、近代的な飲食店やスーパーといった施設が少ない生活環境や、労働者の教育水準などの面では課題が残る。変わりゆく町を現地取材した。(取材・写真=NNAタイ地域事務所 安成志津香)

タイとの国境周辺では、中国系によるカジノやホテルなどの建設が相次いでいる(NNA撮影)

ポイペトと主要道路

「どこに行きますか?到着ビザ(査証)はこっちですよ」。タイ東部サケオ県アランヤプラテートから陸路でポイペトに向かう国境ゲートを通過するなり、複数の現地人が話しかけてきた。ビザ取得を手伝う見返りに法外なチップを要求する手口だ。ポイペトはカンボジア内戦時の激戦地で、かつてはタイ側の国境周辺に難民キャンプが広がっていた。内戦終結から約30年たった今も雑多な町並みは残るが、治安は徐々に改善しており日常生活の上で大きな問題はない。

日本人にとってポイペトの生活環境は快適とは言い難い。町に多くあるのは伝統的な零細小売店で、チェーンのレストランは少ない。公共交通機関は発達しておらず、タクシーやトゥクトゥク(三輪車)で割高な運賃を要求してくる業者も多い。流しのタクシーはなく、駐在員は専属ドライバーを雇うのが一般的で、旅行者の移動はトゥクトゥクが中心となる。カンボジアの配車アプリ「パスアップ(PassApp)」を使えば乗車前に値段が決まるため、不当な料金を請求されることもない。シンガポールの配車アプリ「グラブ」は、現時点でサービスの対象エリア外となっているようだ。

雑然とした町並みが残るポイペト。スリなどの被害には注意が必要だ(NNA撮影)

「経済特区に行きたいのですが、タクシーを手配してもらえませんか」。ホテルのフロントで尋ねると「経済特区?分かりません」と突き返された。トゥクトゥクの運転手に地図を見せても伝わらない。在タイ日系企業にとってポイペトは経済特区の印象が強いが、市民にはその存在が浸透していないようだった。

タイの大型小売が進出

ただ、環境は良い方向に変わりつつある。昨年10月、タイの大手財閥TCCが大型小売店「ビッグCスーパーセンター」のカンボジア1号店をオープンし、新鮮な食材を購入できるようになった。同店には複数の飲食店のほか映画館やゲームセンターも開業し、にぎわっている。

居住環境の改善も期待される。現時点で外国人向けのサービスアパートはないが、日本企業が多く集まるSANCOポイペト経済特区(SEZ)では今年6月に完工する見通しだ。プノンペン経済特区社が昨年末に開所したポイペトPPSEZでもサービスアパートが2021年に開業する見通しで、ジムやプールなどの設備も併設されるという。

日系企業にとって課題は人材教育だ。豊田通商の子会社でレンタル工場を運営するテクノパークポイペトの杉田直人副マネジング・ディレクターによると、近郊には若い労働者が多くいるが、主に農業従事者で会社勤めの経験がない。教育レベルは小学校卒業程度にとどまるため、基礎的なマナー研修やコミュニケーション教育が必須だという。

杉田氏はポイペトの労働者について「学習意欲が強く、ひたむきで真面目」と評価する。指示通りに作業をこなすカンボジア人の特性が、労働集約型産業の生産性向上に大きく貢献できるとみる。住民の多くがタイ語を話せることも、在タイ日系企業の効率的な生産分業につながるという。

バンコクから約4時間という地の利、タイの約5割で済む労務費、若い労働力──。進出先としての魅力が徐々に浸透し、投資熱は高まっている。ポイペトは進出する日系企業の努力やカンボジア当局との連携強化によって、投資環境の改善に向けた道のりを着実に歩んでいる。

ビッグCスーパーセンターが開設され、新鮮な生鮮食品が購入できるようになった(NNA撮影)

「ジャケットってなんですか?」in ポイペト

サンダル、ジャージ、ゼブラ柄。ジャケット姿は見当たらない(NNA撮影)

サンダル、ジャージー、ゼブラ柄。ジャケット姿は見当たらない(NNA撮影)

「この店にジャケットはありますか?」。カンボジアのタイとの国境にある町、ポイペトの小売店で聞くと、店員にきょとんとした顔をされた。逆に「ジャケットってなんですか?」と質問を返された。

カンボジア政府の担当者との取材があるというのに、正装用に用意していたジャケットを忘れてしまった。仕方なく町中を探し回ったが、ビジネス用の衣類がそもそも売っていない。代わりにあったのは、作業着やジャージーばかり。それもそのはずだ。この地域の主要産業は農業で、いまだに「会社勤め」という概念がない。

しかしこの町はいま、賃金上昇に直面する在タイ日系企業の分業拠点として注目を集め、進出を検討する企業も増えているという。いつかこの町の人々が、パリッとしたスーツを着て、会社に通勤する日がやってくるのだろうか。

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