NNAカンパサール

アジア経済を視る January, 2020, No.60

すごいアジア人材@日本企業

日本で活躍するアジアの高度人材たち②

写真提供:ニー・ムイゲッチさん

写真提供:ニー・ムイゲッチさん

2012年に大手ゼネコンの清水建設に入社したニー・ムイゲッチさん。16年まで日本国内の教育文化施設や生産施設の構造設計を手掛け、17年からは国際支店で主に日本企業の海外工場の構造設計を担当している。構造設計では、建物の機能性、デザイン性、経済性を考慮しながら合理的に構造計画を行い、地震や台風などの外力に対して、安全な建物の骨組みを設計するための構造計算を行う。

首都プノンペン出身のムイゲッチさん。カンボジアではかつての内戦でインフラが破壊され、ポル・ポト政権による知識層の大量虐殺で教育システムも崩壊した。内戦終結後、荒廃したプノンペンにショッピングモールや学校が建ち始め、ムイゲッチさんの家の近所にも縫製工場ができた。建物によって人の流れや環境、経済を変えられることを目の当たりにしたムイゲッチさん。「人々にもっと快適な生活を提供したい」と建築士の道を志した。

カンボジア工科大学に在学中の04年に日本の国費留学生として来日。山口県の徳山工業高等専門学校土木建築工学科に3年次編入した。日本語での授業には人一倍苦労した。来日前は全く日本語が分からなかったが、高専編入前に日本語学校に1年間通った。それでも全て日本語で行われる高専の授業についていくため、放課後は先生の研究室に質問に行くのが日課だった。こうした努力が実り、宇都宮大学工学部、東京工業大学大学院総合理工学研究科を経て清水建設に入社した。

これまでの仕事で印象深いのは、入社2年目で初めて自分が描いた図面が実際の建物となった時のことだ。東京都内の保育園だったが、幼児向けの夢のある建物だったこともより印象に残っているという。

留学経験などを通じ、さまざまな異文化の違いに気付かされたというムイゲッチさん。そうした経験が仕事上のコミュニケーションに役立っている。上司の石倉敦グループ長も「構造設計は緻密な計算と、多くの関係者との調整が必要。課題を一つずつ丁寧に検討し、関係者と調整を進めていく彼女のコミュニケーション力には何度も助けられた」と話す。

ムイゲッチさんの目標は「世界に通用する設計者」。そのために、さまざまな国・地域のあらゆる建物の構造設計を手掛けたいと考えている。また、日本などで学んだ技術やものづくりの考え方をカンボジアの次の世代に伝え、カンボジアの教育にも貢献したいと夢を膨らませる。


韓国・ソウル市出身の柳鏞元(ユー・ヨンウォン)さんは、三井化学で汎用プラスチックの原料となる高純度テレフタル酸(PTA)などを取り扱うPTA・PET事業部に所属する。マーケティング・セールス担当として外内部環境分析や取引先との価格交渉、物流合理化のための包材のデザイン変更まで、業務は多岐にわたる。

父親の影響で幼少期から将来の海外生活を考えていた柳さん。「地図を見て生活すればグローバルな視点が育つ」が持論の父親は、生家の壁に何枚もの世界地図を張っていた。韓国から近く、英語による受験制度があったことから2008年に大分県にある立命館アジア太平洋大学(APU)に入学。就職先の選択肢は多かったが最終的に日本企業への就職を決めた。

三井化学は10年以上にわたる外国人採用実績があり、海外25カ国・地域に拠点を展開していることも海外志向の強い柳さんにとって魅力的だった。加えて、同社が韓国人男性に義務付けられている約2年間の兵役期間を重要な経験として評価してくれたのも大きいという。母国で兵役期間は経歴として認められず、韓国の兵役制度そのものを知らない外国企業も多い。「若く貴重な期間を国にささげたのだから、この2年間は無駄じゃなかったと思わせてくれたのがうれしかった」

入社直後にぶつかったのは日本語の壁だ。日本語能力試験で最上級の「N1」を取得し、採用時の面接官からも日本語能力を高く評価されていたが、ビジネスで通用する日本語は別ものだった。「これほど苦労すると思っていなかった。面接官に評価されていたのは、あくまで『外国人にしてはうまい』ということだった」。すぐに通勤時間などを利用して日本語の書籍や新聞を読み込む“特訓”を始めた。仕事で送られてきた電子メールは全て読んで理解できるまで帰宅しなかった。入社から5年が経過した現在も言葉の壁はなくならないが、特訓のおかげで「何とか淘汰(とうた)されずにいる」(本人談)。

「外国人だからこそ日本人同士では言いにくい暗黙の了解に言及できる」という柳さん。「向上心が強い一方、空気が読めない性格」のせいでもあると自己分析するが、人事部の野中武グループリーダーは「気遣いができ、実直で人のために動ける優しい人物」と評価する。

「人口減少期にある日本は、外国人も活躍の場が増える変革期にある。能力や意欲があれば日本には数多くのチャンスがある」と考える柳さん。日本企業に就職した外国人は、しばしば日本型の「下積みの仕事」に不満を持ち、入社早々に辞めてしまうことも多い。「基本的な業務を覚える期間も必要。わずか数年で辞めるのはもったいない」と話す。「海外赴任や人材採用、企業の合併・買収(M&A)に挑んでみたい」と将来のキャリアプランを描いている。


東ジャワ州マラン市出身のクリスティン・クルアワニティさんは、建設現場などに使われるビケ足場・仮設足場を提供するダイサン(大阪市)へ入社して2年目だ。同社は2019年、シンガポールの同業を子会社化し、海外初進出。同年にベトナムで子会社も設立した。

クリスティンさんは海外事業本部に所属し、海外企業担当者との面談や、仕入れ輸入の窓口など海外展開に関わる業務を担う。「挑戦していくことが好きなので今の業務は楽しい」

同期の中ではみんなのお姉さん的存在のクリスティンさん。入社当初は営業統括部の営業サポートとして、商品売り上げ集計や実習生向けの資料翻訳を担当していたが、「能動的に動ける部署が適任」と評価され、19年に海外事業本部へ異動した。

海外事業本部の多留健二本部長は「海外交渉で通訳を頼んだ際も、言葉を翻訳するだけではなく、背景にある意図や思いも同時に伝えてくれる。仕事熱心だし自分から進んで交渉もできるタイプなので、もっと海外向けの仕事ができる部署が良いと考えた」と話す。

アニメを通じて日本人の思想や文化に興味を持った。「『いただきます』とか『ごちそうさま』といった概念はインドネシアにはない」。08年にインドネシアの国立ブラウィジャヤ大学日本文学科に進学し、11年に国際交流基金の日本語研修で初来日した。その後、文部科学省の奨学金選考を通過し立命館大学文学部でも1年間日本文学を学んだ。

大学を卒業してからは日本国総領事館職員やフリーランスの通訳、小説の翻訳家として働いた後、ダイサンに入社した。「関西地方の飾らない雰囲気はインドネシアとよく似ている」と感じるクリスティンさん。「学生時代に東京・渋谷を訪れた際、日本語で道を尋ねたのに『英語は分からない』と突っぱねられた。関西ではそんなことはなかったのでとてもショックで、『就職するなら関西』と決めた」と笑う。

日本の企業風土について、「規則があって、みんながそれを守っていれば仕事がやりやすい」というクリスティンさん。一方で、「規則を守ることが優先され過ぎて、細かい融通が利かない」とも。日本人にはない外国人の発想が受け入れられれば、職場環境はさらに改善するのではと話す。

旅行が好きと話すクリスティンさんが、日本でまだ行ったことがないのは東北地方と沖縄県。「青森のねぶた祭りを見てみたい」

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