NNAカンパサール

アジア経済を視る December, 2017, No.35

【プロの眼】ヘルスケア産業のプロ 細見真司

上海の朝の公園と「健康中国2030」計画

中国

日本だけでなくアジアでも高齢化が進行中だ。日本は介護保険など制度面で比較的進んでいるとされるが、各国の状況はどうなのか。ヘルスケア産業の専門家が中国の現状を見た。

自慢ののどを披露

自慢ののどを披露

朝6時、上海市では高齢者天国といわれている魯迅公園に行った。高齢者グループがそれぞれのリーダーの下で太極拳や社交ダンスをやっている。楽器を持ってきて、歌と踊りで歌謡ショーを行うグループがいれば、コンクリートの乾いた地面に水をつけた筆で見事な書を書く老人もいる。中国の朝の公園は、多くの高齢者がアクティビティを楽しむ巨大なフィットネスクラブのようだ。

彼らが活動する広場の先には中央に大きな花壇があり、デザインを施した高さ1メートルくらいの鉄製の柵で囲まれている。ここには車いすの高齢者がいた。自分で車いすから降りようとしているので心配になって見ていると、車いすから手を伸ばして花壇の鉄製の柵を手すり代わりにして歩き始めた。進行方向に腕を伸ばしながら、手すりにつかまって一歩一歩、体をよじるようにゆっくりと歩いている。「車いすが必要な体の状態になっても、元気な時と同じように歩きたい」という叫びが聞こえてきそうな表情で歩いている。一人だけかと思っていたら、花壇の周りでは同じように何人もの高齢者が懸命にリハビリ歩行していた。

日本であれば車いすが必要な要介護状態になれば、介護保険制度でさまざまなサポートサービスを利用することができるが、中国の高齢者は介護が必要になっても給付制度や十分な国のサポートがないので、自己責任で自らリハビリテーションを行っているのだ。

中国ではどこの公園にも、簡単なリハビリ器具が設置してあり使っている人をよく見かける。健康を維持するのも、要介護状態になってリハビリを行うのも自己責任ととらえる。これが中国の特徴だ。

日本では、内閣府が推進する「アジア健康構想」で、日本の介護オペレーションの自立支援をアジアへ輸出しようとしているが、中国では高齢者が自発的に介護予防※に取り組み、自己責任で「健康」を維持しているのだ。

※要介護状態になることをできる限り防ぐこと。また、要介護状態であっても状態が悪化しないようにすること。

懸命にリハビリ歩行する

太極拳に励む高齢者

国民の健康増進を

そんな中国だが、「健康中国」というキーワードは、昨年からスタートした第13次五カ年計画(2016~20年)にも盛り込まれ、国民から注目されている。

昨年10月に中国政府は国民の健康増進を主眼とした国の政策として「健康中国2030計画概要(健康中国2030)」を発表した。中国は経済成長につれて国民の生活環境が変化した。運動不足、偏った食生活、ストレスの増大、それらに伴う生活習慣病の増加に加え、少子高齢化も問題になっている。北京市では糖尿病専門のクリニックも多数開設されている。これらの問題を中長期的に解決していくのが「健康中国2030」の目標となっている。

主な政策としては以下が計画されている。

  • (1)全国民的な体力作り運動:太極拳や気功などの伝統的運動の普及に加え、科学的なフィットネスの知識と方法を普及させる
  • (2)「養老産業」の発展:医療と養老の結合を図り、養老機関による高齢者向けの医療サポートを充実させる
  • (3)民間健康保険の発展:税制優遇策を通じて、企業や市民の民間健康保険への加入を推進する
  • (4)環境問題の解決:環境保護政策を通じて大気汚染などを抑制し、健康に悪影響を与える環境問題を解決する
  • (5)ビッグデータの活用:国家で集約している国民の健康医療データを体系化して、ビッグデータを活用した新しいヘルスケアマーケットを創出する

成長するAI+ヘルスケア

これらの国民に向けた健康政策が政府の全面的バックアップによって実施されていけば、ヘルスケアを中心とした幅広い産業に恩恵がもたらされそうだ。医薬品・医療、スポーツ、食品、環境セクターなどが注目されていくだろう。

その中でも中国でいま最も成長している分野の一つが人工知能(AI)とヘルスケア・医療・介護を組み合わせた産業だ。2017年4月時点で100以上の企業が誕生しており、投資も拡大している。中国が抱える高齢化の問題、都市部と内陸部の医療格差、生活習慣病患者の急増に対し、スピードを重視する中国政府はAIを中心としたテクノロジーで解決しようと試みており、こうした産業を強力にサポートしている。

中国では30年には健康関連サービスの市場規模が16兆元(約271兆円)に達する見込みで、そのうちAIや最新テクノロジーを駆使したサービスは20~30%を占めるといわれている。日本のヘルスケアマーケットでAIやモノのインターネット(IoT)の導入が始まっているが、中国発信のAIヘルスケアは圧倒的なスピードとマーケット規模で世界標準となっていくと思われる。

中国国内での新規投資が伸び悩む中、このように健康関連消費は最も確実な消費拡大領域であると認識され、「健康中国2030」の実施は中国経済への大きなプラス効果が見込まれている。


細見真司(ほそみ・しんじ)

mcframe CS
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー ライフサイエンスヘルスケア担当。医療法人のマネジメントを経て、2006年新生銀行に入行、10年にヘルスケアファイナンス部を創設。14年より現職。ヘルスケアセクターの合併・買収(M&A)支援を中心に、上海で中国の投資家向けセミナー、台湾での新規事業進出支援などを行う。16年に厚生労働省事業「介護サービス事業者等の海外進出の促進に関する調査研究事業」の委員に就任。

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