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【トップは語る】ホテルオークラ代表取締役社長:荻田敏宏

日本のトップホテル アジア最高級に自信

荻田 敏宏 氏 Photo by Tadashi Kumagai

現在、計画段階も含め国内49、海外31のホテルを運営しています。海外は約4割。5年前は国内7割弱、海外3割ほどでしたから、数年の間にポートフォリオが変わり海外比率が増してきた状況です。

近年アジアで開業したホテルは業績が好調で、想定以上にうまくいっています。オープンして数年たつのはマカオ、台北、バンコクですが、マカオは2011年に開業し、3年目の稼働率が97%。台北も12年に開業して2年目で92%。ホテルの開業1~3年目の稼働率は一般に65~75%ほどで推移しますので、想定よりもはるかに高いパフォーマンスです。

12年開業のバンコクは残念なことに、クーデターの影響で14年の上半期(1~6月)の稼働率は46%と著しく低迷しました。しかし、下期は78%と市場平均の約60%を大きく上回る水準まで回復しています。今年通年では80%を確保できると思います。ホテルの業績としてはAクラス入りと評価できます。

ありがたいことに、お客様からも高い評価を頂いています。アゴダ(ホテル予約サイト大手)によると、ラグジュアリーホテルマーケットにおいて台北は市内トップにランクされ、バンコクもマンダリンオリエンタル、ペニンシュラと並びトップ(※)。トリップアドバイザーでは台北はトップ、バンコクはマンダリンオリエンタルに次ぐ2位になっています。

アジアへの進出は長年意識してきました。日系ホテル企業にとってアジアは、人口規模が大きく所得成長の潜在性が高い有望な市場です。戦後の日本がたどった歴史を踏まえて今後の動向を予測しやすい。日本と地理的に近いからインバウンドとの相乗効果も期待できます。

また何といっても土地代、建築費、人件費が安い。客室価格はさほど変わらないので、相対的に高い利回りが見込める。アジア主要都市のトップマーケットで日本人の宿泊比率は2~5割に達しますから、その点で優位性もあると思います。

オークラも経済成長期は一定の海外進出を進めてきましたが、バブル崩壊で国内経済が悪化した1990年代に海外事業をほとんどストップしました。その後、会社の財務体質の改善が一段落した2002年くらいから再開しようという方針になり、本格的に動いています。

ブランクもあって時間はかかりました。台北は02年に案件に着手してオープンまで10年。バンコクも03年頃から検討を続け、09年に新しい事業がようやく浮上してそれが実現した。この十数年、取り組んできた活動がいま実りつつあるという状況です。

かつて、バブル期までに多くの日系ホテルが海外進出し、やがて撤退しました。その要因は大きく3つあると思います。

1つは日本のコピーをそのまま持っていったこと。2つ目は進出先の競合ホテルに対する優位性や差別化を図れなかったこと。3つ目は海外の業績は悪くないけれども日本国内の経営が悪化して撤退したパターン。これらがうまくいかなかった理由ではないかと考えています。

海外事業に本格的に取り組むにはどう考えていけばいいのか。まず、本店の営業とチェーン運営を切り離すことが大切です。似ていても、やはり異なる事業ですから。それから、地域性に応じた商品のラインナップをそろえること。競合ホテルに対する優位性を保てるか、それを念頭に置いた開発が必要です。

日本人は信用されている

アジアの有望な市場は外資ホテルも狙う。競合に対して日系のホテルオークラが打ち出す強みは何か。荻田社長は日本人の誠実さが評価されていると語る

1980年代、ホテルオークラ東京は米国のインスティテューショナルインベスター誌で、常に世界のホテルベスト5にランクされていました。しかし、トップにはなれなかった。

海外事業を再開して原点に帰るに当たり、やはり世界のトップブランドとして攻めていかなければいけない、そのマーケットで一番良いと評価されることが大事だというのが基本的な考え方です。

その差別化として進めていることの1つが、マニュアルを超えたサービス・商品を提供することです。外資系の5つ星ホテルはマニュアルでしっかりと運営しています。もちろんマニュアルはあってしかるべきですが、目指すのはマニュアル通りのサービスではありません。ホテルオークラの理念である「親切と和」。そして最も良い施設、サービス、料理を提供することを基本に、そういう高い意識を持つことが大切です。

それから、レストラン事業。欧米ではあまり重視されませんが、日本のホテルは収益構造の関係で注力してきた歴史があり、オークラはレストランを全て直営しています。飲食事業をコアに、長年培ってきた宴会事業のノウハウを生かす。特に、外食文化が盛んなアジアでは強みになると考えます。

海外進出に当たっては多ブランド化を進め、最高級から中級までラインナップをそろえる必要があります。2010年にオークラグループ入りしたJALホテルズとのシナジーを生かしたい。海外では最高級のホテルオークラとJALホテルズ系の5つ星・4つ星級ブランドを投入し、1つの地域に複数のブランドを同時展開していきます。オークラとJALホテルズのニッコーで最高級の6つ星、5つ星、4つ星をそろえることにより交渉時の柔軟性が増します。「その立地・条件なら、このブランドが最適です」と提示できるわけです。1都市に2ブランドで5ホテルを展開することも当然あり得ます。

われわれが海外事業を再開した2000年代前半から、JALホテルズとは同じ案件でよく競合していました。競合すると交渉力が弱くなるのは言うまでもありません。この点も改善されます。

それに、従来は訴求できなかった大型案件に対しても複数ブランドを使うことでリーチが可能になる。例えば600室の案件の場合「オークラ単体で高級市場を訴求するだけでは客室を埋めきれない」と断念するケースも以前はありました。

しかし、今ならオークラで200室、ニッコーの5つ星級で400室。和食店はオークラ、中国料理店はニッコー、宴会場は両方で備え、オペレーションも一体で行うといった展開が可能です。運営効率も上がります。1つの案件に対し、このような展開をすることもあり得ます。

海外での運営については物件を所有せず、地場企業からの受託運営を基本としています。ローカルカレンシーリスクを避けるということが理由の1つです。ホテル新設の投資額は、1軒につき100億円単位に上る巨額なものです。リスクを避けながらも展開はスピードが大事ですから、マネジメント契約による運営受託方式で進めています。

外資との折衝では、「日本人はプレゼン下手だけれども信頼性はある、言ったことは実現する」と評価を頂いています。台湾の案件の決め手も、競合とのプレゼンの中でホテルオークラの出す数字が極めて現実的だと評価されたことです。「誇張していないから信用できる」と。1999年頃からホテルオークラ東京の改革を通じ、コスト構造などをグループで体系的に把握し、収支改善のノウハウも得ました。それらのことが生かされています。

海外人材の育成については、マネジメントのできる人材の強化を打ち出しています。日本のホテル業界全般に言えることですが、マネジメントの観点があまり重視されず、どちらかといえばサービスと商品がメーンとされてきた。しかし、今や海外で戦う人材にはマネジメントの力が不可欠です。

オークラでは「経営・運営管理講座」という自主講座を8年前に立ち上げ、ホテル経営・運営の教材を15科目分ほど作り、研修を行っています。また、オランダのハーグにあるホテルスクールと提携し、幹部と幹部候補が学んでいます。

2020年に世界100軒へ

今後5年で国内外で計100軒の達成を目指す。うち半数が海外だ。5つの重点地域を定め、地域での強さを高めていく

直近ではホテル・ニッコー蘇州が6月にオープンしました。今年末にホテル・ニッコー泰州、17年にトルコのカッパドキアにホテルオークラ、18年にバンコクのニッコーとマニラのホテルオークラ開業を予定しています。それ以外に、マレーシア・トルコ各3軒、台湾・中国・ベトナム・インドネシア各2軒、シンガポール・カンボジア・ミャンマー・その他各1軒と、計18軒を交渉しています。

今後、2020年までに国内外で計100軒というのが当面の目標です。国内と海外の割合は50対50としたい。もしも、その先150軒を目指すという風になれば、海外比率が国内よりも高くなるでしょう。

アジアでは台湾、タイ、ベトナム、インドネシア、トルコを重点地域に位置付けています。ホテルオークラは多ブランドで水平的に500軒も展開するようなメガチェーンとは異なります。100軒規模で戦うには、有望なマーケットを狙って「この国、地域では強い」と強みを発揮していく必要がある。トルコでは今年2月に地場企業と合弁で現地の運営会社を設立しました。他の地域でも同じような形態での展開を視野に入れています。

ホテルオークラが目指すのは日本発の国際ラグジュアリーホテルチェーンです。そして、中規模ながらもラグジュアリーマーケットで優位性があるホテルチェーン。そのためには、常により良いものに変えていく。運営手法だけではなくサービス、商品も全てです。ただ単に作っているだけでは駄目で、作っている意義は何かを常に考える。それがオークラの目指す姿です。(聞き手・岡下貴寛)

【プロフィール】
荻田敏宏(おぎた・としひろ)
1964年生まれ、50歳。慶應義塾大学商学部卒業、米コーネル大学ホテル経営学部修士課程修了。ホテルオークラ入社後、事業部長、執行役員、取締役などを経て、2008年に代表取締役社長に就任し、現職。43歳という若さでの就任で話題となった

カンパサール本紙を読む(2015年7月号より抜粋)

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