NNAカンパサール

アジア経済を視る May&June, 2023, No.100

【アジア現地ルポ】

リゾート復活
タイ観光の守り手たち

昨年10月に新型コロナウイルス感染症の対策である入国規制を撤廃したタイ。観光業は、コロナ流行の前までは国内総生産(GDP)のおよそ20%を稼ぎ出していた。少しずつ海外からの旅行者が戻ってきたというが、その後どうなっているのか。今年2月、リゾート地として知られる南部のサムイ島とプーケット島を巡ってみた。(ジャーナリスト 室橋裕和)

ビーチリゾートはすっかりコロナ前の客足に。ただ欧米人が中心で、円安の影響もあり日本人観光客はまだまだ戻ってきていない(筆者提供)

バンコク市内に入ると、東京と変わらない光景があった。誰もがマスク姿だ。高架鉄道や地下鉄での着用率はほぼ100%だろう。欧米人はノーマスクだが、タイ人はきっちりとマスクをつけていた。

「日本人は同調圧力でマスクを外せなくなっているように思いますが、タイ人はコロナそのものへの警戒感が強いと感じます」。バンコクに住む日本人駐在員はそう語る。

しかし、リゾートアイランドに行けば一転、ほぼノーマスクの世界になる。マスクをしているのはコンビニなどの店員くらいで、僕も外して久しぶりの開放感を楽しんだ。

こちらはピピ島。やはり欧米人で混み合う(筆者提供)

サムイ島に来るのは4年ぶりのことだ。繁華街のあるチャウエンビーチにはコロナ禍のダメージか、閉業したままの物件も目立つ。手頃なゲストハウスが集まっていた通りは廃墟のようだった。

泊まったのはレストランやクラブが密集するエリアの安ホテル。お客で混み合っていたが「1年ほど休業し、再オープンしたのは去年から。やっと11月頃から観光客が戻ってきました。年末年始は予約で満室でしたね」とスタッフは話す。

観光客をゾウに乗せるエレファントライドの業者も、年末を機に客足が良くなったという。「収入がないのに象のエサ代がかかり本当にきつかった。やっとひと息つけた」。ようやくインバウンドが動きはじめてきたという印象だが、観光業の人たちはどうやって生き延びてきたのだろうか。

別のホテルの従業員は言う。「イサーン(タイ東北部)の実家に帰り、畑をやっていました」こういう人が結構いるそうだ。出稼ぎ先から故郷に帰り、コロナ禍をやり過ごす。「田舎に戻れば、カオニャオとナンプラー(もち米と魚醤)くらいはある」と語るタイ人は多い。日本よりは自然の恵みが豊かで飢えることはないという。それはタイの強みだ。「自宅や店の家賃を待ってくれたり、車や家のローンを金利だけの支払いにしてくれた業者もあります」という声も聞いた。

仏教の精神も助けになった。20年には暮らしに余裕のある人が食料や生活必需品を持ち寄り、分け合う取り組みが全土で広がった。こうした寄付は「タンブン」といい徳を積む行為でもある。そのタンブンの精神もあってタイはコロナ禍を乗り切りつつあるようだ。

値上がり「本当に大変」

「食料品も燃料も、何でも上がって本当に大変。給料はぜんぜん上がらないのに」

日本と全く同じことをタイでもよく聞いた。例えば、屋台や食堂で食べることができるクイッティアオ(米麺)一つをとっても、4年前は1杯50バーツ(約190円)くらいの店が多かったと思うが、今は70バーツ(約270円)前後。食品の値上がりが激しいようだ。

背景には他国と同様にエネルギー価格の高騰があるといわれる。「コロナ前に比べてリッター当たり5バーツ(約20円)くらい上がってるかも」と、ガソリンスタンドの店員。離島は輸送費もかかり、物価は本土よりも高くなりがちだ。

買い物はコロナ前から電子決済が進んでいたが、さらに普及した感を受けた。コンビニエンスストアやスーパーマーケットでは、スマホで決済する姿が定着している。

シンガポール系の「グラブフード」やドイツ系の「フードパンダ」といったデリバリーはよく目にする。街角の屋台や安食堂でも、配達員が料理をピックアップしてバイクで走っていく。

タイの島ではよく見るこんな光景も、動物保護の観点から減っていくことだろう(筆者提供)

「旅行会社を経営しているが、コロナで開店休業の状態。フードパンダ用の食堂を始めて、何とかやりくりしている」という人もいた。

観光の在り方も変化してきていると感じた。例えば、タイ各地の観光地で親しまれてきたエレファントライドは姿を消しつつある。欧米人観光客から「動物虐待だ」と批判されたからだ。代わりに、象と一緒に川や海で水浴びする「エレファント・バス」が流行っている。水族館などのショーも同様の理由で中止にしたところがある。

また、南部の島々ではマングローブの植林に力を入れたり、紙素材のストローを出すレストランが増えたり、オーガニック農園を訪ねるツアーがあったりと、少しずつグリーンツーリズムが広がっているようにも感じた。とりわけ大自然そのものを観光資源にするタイ南部では顕著だ。こうした環境意識の高まりに、ビジネスチャンスを見いだすタイや外資の企業も増えてくることだろう。

プーケットは大混雑

サムイ島から、やはり4年ぶりとなるプーケット島へ移動すると観光客で盛況だった。北部の国際空港には飛行機がばんばん離発着し、改装工事も進む。島内最大の繁華街パトンビーチは夜になるとバーやレストランに観光客が押し寄せ、どこも大混雑だ。

レンタルバイクを借りようとしたら、サムイ島の倍の値段をふっかけられたり「2日間以上でないと貸さない」と言われたりもした。ホテルも満室のところが目立つ。タイ最大の水族館やウオーターパークもオープンするなど、ここも既にアフターコロナの時代になっていると感じた。

「観光客用のバイクや車が全然足りないんです。急に観光需要が戻ってきたので」と、現地在住の日本人は言う。ホテルやレストラン、コンビニに至るまで人手不足だ。この数か月で一気に回復しつつある観光需要に供給側が追い付いていない。

コロナで削減したスタッフを呼び戻したり、プーケット島内だけでなくタイ全土に求人を出したりしているが、まだまだ足りないようだ。

いくつかの安ホテルを泊まり歩いたが、どこもスタッフが常駐するのは朝から夕方まで。夜はフロントが無人となり、玄関はロックされ、部屋の鍵とは別にそちらの電子キーも渡される。何かあれば通信アプリのWhatsApp(ワッツアップ)かLINE(ライン)で連絡する仕組みだった。足りない労働力をITで補っている。

観光支えるミャンマー人

活況を取り戻すプーケットの観光業。その足元を支えているのはミャンマー人だということはあまり知られていない。ホテルやレストラン、屋台で働くのはミャンマー人が多い。観光客にはタイ人と見えるかもしれないが、よく話せばタイ語があまりわからないことがある。それでも英語を使い、笑顔で応対してくれる。

タイを「ほほえみの国」という言葉もあるが、ほほえんでいるのが実はミャンマー人だったりするのだ。

早朝からサモサを仕込むミャンマー食堂の店員(筆者提供)

「タイに来てもう10年になります」。ダイビングショップで働くミャンマー人は片言のタイ語で話す。南部モン州出身の少数民族、モン族だ。「スタッフのタイ人はマネジャークラスだけで、あとはミャンマー人。他の会社も似たような感じ。ミャンマーは仕事がないし、働いてもせいぜい月1,500バーツ(約5,700円)。ここでは10倍もらっています」

背景にあるのは賃金格差だ。経済的に立ち遅れたミャンマーから隣国タイに出稼ぎに向かう人々は昔から多く、非合法を合わせておよそ200万人とみられる。バンコクでも、タイ人がもはや働きたがらない建設や工場、飲食といった現場を支える。

タイ南部最大の歓楽街、プーケットのバングラ通り。ここでもミャンマー人労働者は多い(筆者提供)

より安い労働力を求めて外国人を導入する動きは日本以上に広がっている。カンボジア人やラオス人も多い。特に南部ではミャンマー人は重宝されてきた。旧英領だったことから英語教育がしっかりしていて、外国人観光客の応対ができるからだ。

プーケット南部で小さな民宿を営むタイ人は「ミャンマー人スタッフがいないと回らない。家族の一員みたいなものだからコロナ禍でもなるべく解雇したくなかった。仕事はないが部屋の掃除などをしてもらい、安くても給料は払い続けた」と言う。

そして今、ミャンマー人労働者はさらに増えている。クーデターで政権を強奪した軍の弾圧に耐えかね、故郷を離れざるを得ない人が多いからだ。とりわけ少数民族が住む地方では軍の焼き討ちなども横行し、タイに逃げてくる。それを、コロナ後のタイの観光需要の増加が吸い込んでいるようにも感じた。

コンビニに「タナカ」

「このへんの店は、全部ミャンマーだよ」 

そう笑うのは雑貨屋を営むおばちゃんだ。扱うのはミャンマーのお茶とかお菓子、調味料や缶詰など。ミャンマー人労働者のための店で、こんな雑貨屋がプーケット旧市街の市場のまわりに密集している。付近のコンビニではミャンマーの伝統的な化粧品にして日焼け止めの粉「タナカ」まで売っていた。

「市場で物を売っているのもみんなミャンマー人。朝はミャンマー人向けの食堂もやっているから行ってみるといいよ」とおばちゃん。早朝5時に出向いてみると、市場のまわりに立ち並ぶ倉庫でたくさんのミャンマー人が野菜や果物などの荷運びをしていた。彼らが腹ごしらえする食堂がいくつもあり、おいしいモヒンガー(ナマズのだしの米麺)を出してくれた。

シーレー寺院にはミニチュアのゴールデンロックがあった(筆者提供)

アウンサンスーチー氏の写真が見守る中、ミャンマーのテレビを見ながら早朝を過ごす。ミャンマー式のミルクティーと合わせて40バーツ(約150円)だった。ミャンマー人労働者の賃金に合わせた価格なのだろう。

プーケット東部のシーレー寺院を訪れてみた。一角に併設されたミャンマー寺院には巨大な黄金の岩が鎮座する。ミャンマーの聖地「ゴールデンロック」を模したものだ。寝釈迦仏が横たわり、プーケットの街とアンダマン海を見つめている。「週末はミャンマー人がたくさん集まってくるよ」と管理人が言う。

アフターコロナの時代に入りつつあるタイの観光地だが、その足元では大勢のミャンマー人が働いている。今後も彼らが観光業を担っていくだろう。そうであるなら、タイの賃金上昇の流れも、ミャンマー人労働者に反映されてほしいと思った。

【動画】旅行者で賑わうプーケットのパトンビーチ。プーケットは厭戦(えんせん)ムードからか、ロシア人観光客も多い(筆者提供)

【動画】地元客にも観光客にもナイトマーケットは人気(筆者提供)


室橋 裕和(むろはし・ひろかず)

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌の会社に在籍し、10年にわたりタイおよび周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。最新刊『北関東の異界 エスニック国道354号線』(新潮社)を3月に出版

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