NNAカンパサール

アジア経済を視る November, 2020, No.70

【プロの眼】インド食文化のプロ 小林真樹

第2回 心尽くしの家庭料理
    客を極上おもてなし

「うちで食べる料理がやっぱり一番です」。これまでどこで食べた料理がおいしかったかとインド人に聞いてみると、こうした答えが異口同音に返ってきます。インド人にとって家庭料理は他に代えがたい大切なものです。「おうちカレー」をおいしく感じるのは日本人にも分かる気がしますが、本場インドの場合は味以外にもう少し深い事情があるようです。

「インド料理は辛いイメージがあるが、家庭料理は全く辛くありません」と筆者の小林氏(筆者提供、以下全て同)

日本では職場の親睦会であれ友人や親族同士の会合であれ、どこかに集まろうとする際には居酒屋やカフェといった外食店がよく使われるでしょう。

インドの場合、こうした会合の場は主に家庭になります。大切な客を自宅に招いてもてなすことが古くからの美徳とされ、供応の場としての家庭をとりわけ重視します。

もちろん、前回で紹介したようにインド外食産業の急成長ぶりは目を見張るものがありますが、あくまでも「大切なお客は家でもてなす」というのが大方の共通認識です。日系企業の駐在員も、インド人のビジネス相手から家庭に招かれる機会があると思います。

今回は、そのようなインド人宅に招かれた際に饗される料理や調理環境、宗教観に基づく独特の食事マナー、約束事など知っておきたい家庭料理の文化をご紹介します。

厨房は女性の聖域

厨房は女性の聖域

家庭訪問の手土産
菓子折りは避ける

自宅に招待された際、まず注意すべきは手土産でしょうか。宗教的な戒律を持つ人が多いインドでは、動物性由来の原料やアルコールが入った食べ物をうかつには渡せません。

また、インド人は甘いものが好きだからといって、地元の菓子屋で包んでもらった菓子折りを持参するのも日本とは違ってあまり喜ばれません。

北インド家庭料理の定番、揚げパンの「プーリー」。できたてを台所から運ぶ

北インド家庭料理の定番、揚げパンの「プーリー」。できたてを台所から運ぶ

保守的なインド人の中では、自分よりもカーストの低い人たちが作った料理を口にしない伝統があります。誰の手で作られたか分からない食べ物は好まない傾向があるのです。そう考えると、季節の果物などは比較的誰にでも喜ばれるかもしれません。

手土産を渡して家族へのあいさつが一通り済むと、果物のジュースと塩味のスナックなどをつまみながら主人との懇談の時間に入ります。甘いチャイ(紅茶)は食後が一般的です。話に花が咲く間、台所では女性たちが客をもてなす料理の準備を進めます。

インドでは台所仕事を仕切るのは昔も今も妻の役割。富裕層になるとキッチン専門の女性のお手伝いさんを数人雇っている場合もあります。

お手伝いさんが行うのはあくまで皮むきやカットといった食材の下処理だけで、味付けなどの最終的な仕上げは妻が行うことが多いようです。また、それぞれの能力を見極めて仕事を割り振りすることも台所を預かる者の大切な技量であるとされます。

一方で、男性陣は基本的にこうした作業に加わることができません。独特の宗教観に根ざす考えなのでしょうが、保守的な家庭の中には現在でも男性が台所に入ることを厳格に禁じているところすらあるのです。

「男子厨房に入らず」とは、中国から伝わった故事が基となった日本の古い慣用句ですが、厨房男子が珍しくない昨今の日本に比べるとインドにこそふさわしい言い回しだと思えてきます。

男性の仕事は家の外に限定されます。食に関する男の仕事といえば、せいぜい食材の買い出しぐらいでしょうか。野菜市場で買い物カゴを手にするおじさんたちの姿は、インドでは日常的な光景です。

右手だけでちぎる
パン食時のマナー

そうこうしているうちに、いい香りがして料理が運ばれてきます。広大なインドでは地域によって家庭料理の内容が大きく異なりますが、ここでは首都デリーがある北インドの家庭料理を例に見ていきます。

卓上に並ぶのは、煮込んだ豆のスープであるダール、漬け物のアチャール、鉄板で焼いた薄い無発酵パンのチャパティかあるいは同じ生地を油で揚げたパンのプーリー、香り米を炊いたバスマティ・ライス、主菜には野菜のスパイス炒め煮であるサブジーが数種。材料はナス、オクラ、ジャガイモ、カリフラワーといった季節の野菜です。

また、パニールと呼ばれるカッテージチーズもよく食べられます。菜食主義者の多いインドですが、乳製品は聖なる牛からの恵みであるとされ積極的に食べられているのです。

くたっと煮込まれたナスや青菜などと共に炒め煮された角切りのパニール。チーズの弾力ある歯ごたえが程よいアクセントとなり、チャパティやプーリーといったパン類にことのほかよく合います。

家庭料理は、外食料理とは違って強い刺激で客寄せする必要がないので、むしろ拍子抜けするぐらい辛くありません。

チャパティは作り置きせず、焼き立てが一枚ずつ運ばれます。それも一枚食べ終える頃合いを見計らい、そのたびに追加してくれます。これはプーリーでも同様です。

チャパティの表面にはあたかもパンにバターを塗るかのごとく、ギーと呼ばれる精製バターがたっぷりと塗られます。ギーは高価なものですが、したたるように塗るのが客人をもてなす心意気。

インドで最も主要な宗教であるヒンズー教では「油は浄性が高い(けがれが少ない)」とされ、菜食主義者であればあるほどよく使う傾向があります。完全なベジタリアンであるにもかかわらず、肥満した人がインドに多いのはこうした理由によります。

卓上には大抵スプーンやフォークが準備されていますが、チャパティなどのパン類は手でちぎって食べることになります。このときに「直接かみちぎる」「両手でちぎる」などの行為はマナー違反とされ、右手だけでちぎるのが良いとされます。

卓上に並ぶ主菜類の「サブジー」

卓上に並ぶ主菜類の「サブジー」

口に入る大きさだけを親指と人差し指でつまみ、本体は中指以下で固定してちぎり取り、その小片でサブジーを包んで食べ進めます。手で食べるのにも、こうしたマナーは存在するのです。

コツをつかむとスプーンを使うよりもスムーズに食べることができ、食べ物のやわらかさや温かさもダイレクトに感じられるため、よりおいしく感じるとインド人は言います。

こうして数枚のチャパティを食べると、最後にシナモンやカルダモンと共に炊き込まれたバスマティ・ライスが出されて食事が締めくくられます。

これらの料理を客人が「もう食べられません!」というまで勧めるのが、インド家庭での一般的なもてなしです。

外食店では出せない
家庭の優しさ丁寧さ

このように主人が客の相手をしながら食事する間、妻は台所でお手伝いさんに指示を与え、料理を仕上げ、でき上がったら客間へと忙しく働きます。特に客人が男性だけの場合は同席して語らうこともなく、見方によっては随分と男性優位にも見えます。

インドでは家の中と外の仕事を厳然と区分けし、それぞれ男女が役割分担して互いに干渉しないという不文律があります。それは前近代的なものに映るかもしれません。しかし、それはこの地で長い年月をかけて培われた文化でもあります。

招かれた客人を、あたかも天から勧請(かんじょう)された神様のように上げ膳据え膳で何もさせないのがインド流のもてなし。私たちはその文化に敬意を払い、過剰気味なもてなしに身をゆだねながら心尽くしの家庭料理をお腹一杯食べましょう。

丹精込めて作られた家庭の味からは、外食の料理では決して出せない優しさや丁寧さが伝わってきます。そこで初めて、冒頭で紹介した「うちの料理が一番」というインド人の言葉を理解することができるのです。

北インドの地方の村の台所でチャパティを作る女性。インドでは、まきの自然な火がガスよりも好まれる

台所には通常、皿を縦置きできるステンレス製食器棚が置いてある

南インドの家庭の台所

同じく南インドの台所。棚には日常的に使う香辛料や乾燥豆が無造作に置かれている


小林真樹(こばやし・まさき)

インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。1990年ごろからインド渡航を開始。以降、毎年渡印を重ねる。最大の関心事はインド亜大陸食文化。食器の仕入れを兼ねてインド亜大陸の各地を、営業を兼ねて日本全国各地を、くまなく食べ歩き踏破している。近著に『日本の中のインド亜大陸食紀行』(阿佐ヶ谷書院)、『食べ歩くインド』(旅行人)。

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