アジア通

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【アジア取材ノート】できることは全て自分で~自立促すモンゴル児童養護施設~

2016年8月号

自分たちで料理を作る児童養護施設の子供たち(NNA撮影)

1990年代初頭に民主化したモンゴルは、その後市場経済化が急速に進んだ。一方で貧困により都市部で家を失う子供など、社会問題も抱えるようになった。こうした子供たちをいかに一人前の大人に自立させるか。同国第3の都市ダルハンにあり、日本人が支援する私営の児童養護施設を取材した。
大石秋太郎=文・写真

ダルハンは人口が約8万人の、モンゴル有数の工業都市。中心部の外れにある児童養護施設の敷地内に入ると、子供たちが大きな声で「こんにちは!」と日本語で声をかけてくる。その声を聞いた別の子供も建物の窓から顔を出し、同じように元気な声であいさつしてくれた。前日に施設を訪れて顔見知りになっているためだが、とても気持ちの良いあいさつだった。初めて話す子供たちは、「名前は何ですか?」「何歳ですか?」と、施設で教わった日本語でしゃべりかけてくる。みんな、笑顔が明るく、元気だ。

施設の名前は「ナラン・フーフドゥドゥ」。日本語では「太陽の子どもたち」。主に日本の団体や日本人の里親たちの支援を受けて運営されている。小学生から高校生までの男女それぞれ20人、計40人が共同で生活している。

炊事洗濯全て自分で

ダルハンの児童養護施設「太陽の子どもたち」で暮らす子供たち(NNA撮影)

太陽の子どもたちの最大の特徴は、子供たちが一人前の大人になれるよう、自立を促すこと。一般的なモンゴルの児童養護施設では、炊事や洗濯、掃除などをスタッフが行うが、ここではこれら一切の家事から建物の設備・備品の修理といったことまで、できる限り全て子供たちが自分たちでやる。例えば朝食なら、当番の子供たちが皆より早めの6時頃に起床し、全員分を準備する。記者が取材で訪れた時は日本の支援団体の代表らも集まっており、中学生くらいの子供たちがモンゴル料理を用意してくれていた。料理はモンゴル風ギョーザ「ホーショール」や焼きうどん「ツォイワン」、肉や野菜が入ったスープ「ノゴートイ・シュル」など。いずれもレストラン顔負けなほどおいしく、その腕前に驚いた。

またこの施設では、子供が自分たちで何かを作って収入を得るということも、実践的に教えている。例えば、旧正月やモンゴルの国民行事「ナーダム」の前には子供たちがスタッフと協力して伝統衣装「デール」を作り、市民に販売する。こうして得た収入は、自分たちの洋服や施設の備品などを買うための資金になる。

日本で公演も

約1万平方メートルの施設の敷地内には、子供たちが生活する建物に加え、伝統芸能を学ぶ棟も併設されている。ここで子供たちは週末、楽器や歌、踊り、曲芸、切り絵、裁縫などを、専門の講師から学んでいる。このうち楽器や歌、踊り、曲芸については、特に優れた子供が10人ほど選ばれ、日本へ公演に行くことが恒例となっている。

日本への公演は、もともと日本と関わりがあった施設長のサンジャー・エルデネチュルンさん(女性)が施設の運営開始から間もない2003年から行っているもの。エルデネチュルンさんは「施設に入ってくる子供は何事もやる前に諦めやすい傾向がある。『自分も頑張れば日本という外国にも行ける』という体験を通じ、諦めずに努力する大切さを実感してもらいたい」と、公演を行う目的を説明する。公演は毎年開いており、今年は11月に北九州市と福島県会津若松市で開催する予定だ。

施設の歩み

「太陽の子どもたち」の前身となる児童養護施設ができたのは、ダルハンにもマンホールチルドレンが多かった2000年。当初はイギリスの支援団体が施設を運営していたが、教育方針の違いなどから譲渡する方針が決まり、日本の非政府組織(NGO)のプロジェクトを通じてモンゴルで子供の支援活動をしていたエルデネチュルンさんが02年に引き継ぐことになった。

太陽の子どもたちの施設長、エルデネチュルンさん(NNA撮影)

エルデネチュルンさんは「約20人の子供がいたが、ここを出た子はすぐに市場で盗みを働いたりけんかをしたり、社会的に自立できた状況ではなかった。はじめの2年間は、私が地元の警察や学校から呼び出されてばかりでしたよ」と当時を振り返る。エルデネチュルンさんはこれまでの経験から、「子供たちを忙しくすれば悪いことをする時間も無くなる」と考え、家事をさせたり、音楽など芸能を学ばせたりし、現在の方針やカリキュラムを築き上げていった。

また、子供たちを海外に連れて行けば子供たちの自信にもつながると思い実施した沖縄の公演では、現地の支援団体の賛同を得て、ここから日本の団体が施設の支援に加わるようになる。現在、太陽の子どもたちに支援する日本の団体は4団体。これらの団体に所属する日本の里親たちは、子供が施設を出た後も、大学の学費などを寄付している。これまでに計38人が施設を巣立ち、米国など海外の大学に通う人も2人いるという。

施設に入居できるのは高校卒業までだが、エルデネチュルンさんは「卒業後も普通の家のように親として面倒を見ます」と話す。施設の今後については、音楽の部屋や裁縫の部屋、パン工房など既存の施設の拡張や、幼稚園の開設など、「他の施設もまねしたくなるようなシステムを構築したい」とビジョンを描く。

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