NNAカンパサール

アジア経済を視る March, 2023, No.98

【ビジネスノート】

タイ産クラフトビール
規制緩和の一歩に乾杯

小規模な醸造所が追求した個性的な味が楽しめるとして、近年人気のクラフトビール。しかし、タイのビール市場でそのシェアは1%にも満たない。酒造関連の規制が厳しく、小規模事業者の新規参入が困難だったためだ。財閥系大手による寡占状態が続き、市場競争が妨げられているとの声も上がる中、政府は昨年末に規制の緩和を決めた。業界関係者は「クラフトビールの不毛の地」からの脱却に期待を寄せる。(NNAタイ副編集長 坂部哲生、Jaruwit SU-NGAM)

タイ在住のクラフトビール好きに人気の「チットビール」。15種類ほどのクラフトビールを販売。1杯120バーツ(約470円)前後から=22年11月15日、タイ・ノンタブリ県(NNA撮影)

バンコク中心部から北に向かって車で約40分。都心から気軽に行ける観光地として知られるノンタブリ県クレット島にあるパブ「チットビール」は、週末になると多くの人でにぎわう。来訪の目的は何といってもビール。といってもただのビールではなく、タイでは珍しいクラフトビールを味わうためだ。

オーナーのウィチット・サイクラオ氏は、平日はIT企業の社員として働き、土日のみこのパブをオープン。自前の醸造所で作ったクラフトビールを客に提供している。

「私たちのような小さな醸造所や新規参入者には朗報だ」と、ウィチット氏が喜びを表すのが、タイ政府が2022年11月に施行した酒造の規制緩和。1,000万バーツ(約3,900万円)以上の資本金、10万~100万リットルの年産義務という小規模事業者にこれまで課せられていた規制が撤廃された。

実はタイ人はアジアの中でも屈指のビール好きだ。世界の商品価格・消費量を比較する米サイト「エクスペンシビティー」が発表したビールの価格・消費量の指数「ワールド・ビール・インデックス2021」によると、タイ(バンコク)の1人当たりの年間消費量は330ミリリットル入りの瓶換算で142本。2位の韓国・ソウル(131本)、3位の中国・北京(127本)を抑え、アジア圏では最多だ。

一方、厳しい規制が新規参入のハードルとなり、市場は「シンハービール」「レオ」など人気銘柄を製造するブンロート・ブルワリーと、象マークをあしらった「チャーン」の銘柄で知られるタイ・ビバレッジの財閥2社による寡占状態。競争を妨げていると一部で問題視されてきた。

ベルギーの調査機関、フランダース・インベストメント・アンド・トレードが20年に発表したリポートによると、タイのクラフトビールのブランドは50~60ほど。市場規模は4,000万~8,000万米ドル(約54億~108億円)で、ビール市場でのシェアは1%未満。「クラフトビールの不毛の地」という声も聞こえる状態だ。

ウィチット氏は米国留学時代にクラフトビールのおいしさを知り、帰国後に自宅で醸造を開始。クラフトビールの作り方教室も開催する業界の中心的人物=22年11月15日、タイ・ノンタブリ県(NNA撮影)

国外で製造し輸入
厳しい規制に対抗

タイでは醸造だけではなく、ビール業界全体に厳しい規制が敷かれてきた。

海外に製造拠点を構えるマハナコン・ビバレッジのビール。1本100バーツ前後でタイ国内製造品と比べて割高=2月14日、バンコク(NNA撮影)

ビールを含むアルコール飲料のテレビなどでの宣伝が法律で禁じられているほか、著名人によるSNSを活用した情報発信も認められていない。さらに、宗教上の理由で小売店での販売時間も制限されている。知名度に劣る零細のクラフトビールメーカーは、大手以上に割りを食ってきた。

また、新型コロナウイルス感染症の流行も大きな打撃となった。レストランやパブが休業する中、タイのクラフトビール各社はオンラインでの販売にかじを切ったが、20年12月に酒類のオンライン販売が禁止に。売り上げが大きく落ち込み、コロナ禍で多くのメーカーが倒産を余儀なくされた。

規制の影響で、国内ではなくベトナムなどの隣国で生産するという経営判断を下したメーカーも少なくない。14年創業でタイのクラフトビール業界では古株のマハナコン・ビバレッジもその1つだ。

同社の「SIVILAI(シビライ)」は、英国で開催された国際的な品評会「ワールド・ビア・アワード(WBA)2020」のクラフトビール部門で銀賞に輝いた商品だが、タイ国内ではなくベトナムで醸造して輸入しているため販売価格は割高だ。

目標は1つの村に
1クラフトビール

ビール業界に「厳格過ぎる」という反発が起きる中、実施された今回の規制緩和だが、不十分という声も上がっている。

クラフトビールに対する規制の完全撤廃を求める野党「前進党(MFP)」に所属する国会議員、タオピポッブ氏はその1人。NNAの取材に対し「依然として、新規参入が難しい状況は変わらない」と憤りを隠さない。

個人消費が目的でクラフトビールを製造する場合、年産量は200リットル以下に制限される。個人が経営するパブで客に自家製ビールを提供するには、届け出だけでなく免許の取得が求められる。さらに、醸造設備は環境に負荷を与えないなど一定の水準を満たさなければならず、初期投資が大きな負担になるという。

タオピポッブ議員は「タイで規制が完全に撤廃されれば、国内ビール市場でクラフトビールの占めるシェアは10%に達する。市場規模は300億バーツに膨れ500の事業者が生まれる」と試算する。

大学生だった17年にクラフトビールを自宅でこっそりと製造・販売したことがばれて、警察に逮捕された過去を持つタオピポッブ議員は「1つの行政村(タンボン)に1つのクラフトビール」という理想を掲げる。

醸造家として知られるタオピポッブ議員=22年11月17日、バンコク(NNA撮影)

前出のウィチット氏も、小規模な醸造所の参入を拒むようなこれまでの規制に異議を唱え、何度も罰金刑を受けながらクラフトビールの醸造を続けてきた。

「タイも近い将来、日本やドイツ、アメリカのように各地でオリジナリティーのあるビールを醸造できる環境になると信じている。クラフトビールには土地それぞれが持つストーリーを反映できるので、観光や文化も発展させられる」(ウィチット氏)

地域間の所得格差の解消という課題を抱えるタイ。まずは、地域振興策としてクラフトビールを活用する案を一考するのも手かもしれない。

クラフトビールの最大級フェス開催発表

「ビアピープル・フェスティバル」の会見の模様(ビアピープルのフェイスブックより)

酒造のさらなる規制緩和を求めて、タイのクラフトビールの製造業者が「第1回ビアピープル・フェスティバル」を開催すると発表した。主催はクラフトビールの関係者が集まり4年前に結成したビアピープル。2月11日に記者会見を開き「タイ最大級のビールイベントになる。今後10年で世界的な催しにしていきたい」と宣言。さまざまなクラフトビールが楽しめる他、専門家によるクラフトビールのワークショップも予定。また今年5月に4年ぶりの総選挙が行われるのを受けて、政党関係者を招きアルコール政策をテーマにしたパネルディスカッションも準備中と話した。3月11、12日にバンコク市内での開催に向けて調整中。

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