NNAカンパサール

アジア経済を視る May, 2018, No.40

【アジアで会う】

フォロワー数34万人、日本を伝えるフィリピンの人気ブロガー

トリシア・ゴシンチャンさん

フィリピン

トリシア・ゴシンチャン 1988年フィリピン・マニラ市生まれ。アテネオ大学美術学部に在学中、写真家としてのキャリアをスタートさせる。現在、フェイスブックのフォロワー数は34万人、インスタグラムは22万人以上。若者に人気のインフルエンサー(ネット上などで影響力を持つ個人)として、日本をはじめ、韓国や台湾などの情報をSNSで紹介する。父はベストセラー作家でマーケティングの権威、ジョサイア・ゴー氏。

トリシア・ゴシンチャン 1988年フィリピン・マニラ市生まれ。アテネオ大学美術学部に在学中、写真家としてのキャリアをスタートさせる。現在、フェイスブックのフォロワー数は34万人、インスタグラムは22万人以上。若者に人気のインフルエンサー(ネット上などで影響力を持つ個人)として、日本をはじめ、韓国や台湾などの情報をSNSで紹介する。父はベストセラー作家でマーケティングの権威、ジョサイア・ゴー氏。

「よかったら、どうぞ」と手渡されたのは、「厚焼」の文字が印字されたピーナツせんべい。北海道と東北を旅行して帰国したばかりだという。日本政府観光局(JNTO)から提供された5日間の旅行について、訪日外国人向けアプリの話題を交えながらブログで紹介した。

中華系とのハーフ。小柄で柔らかい印象の顔立ちだ。ブログ「tricia will go places」などではモデルとして被写体にもなるが、元々の職業は写真家。自身の性格を、「どちらかというとコミュニケーションが苦手。写真やブログなら、ありのままの自分を表現できる」と説明する。

日本との架け橋

初めて日本を訪れたのは、高校を卒業した直後の2006年のこと。日本への旅行は費用が高く、観光ビザの手続きが煩雑な印象が強かった。英語で書かれた最新情報はほとんどない。家族と訪れた日本の様子を、芸術家のインターネットコミュニティー「デビアントアート」で紹介したところ、コメントが殺到したという。日本に対する関心の高さを感じたきっかけとなった。

幼い頃から、写真家になることが夢だった。情報デザインを専攻していた大学生の時、デビアントに趣味で投稿していた写真が出版社の目に留まる。ティーン向け雑誌や、インクワイラー、スターなどの地元新聞に、町中のおしゃれな人を紹介するストリートスナップを投稿してきた。

10年に自分のブログを開設。卒業後はフリーの写真家として、雑誌の表紙を飾るまでのキャリアを築いた。初めは紙面に載せた写真をブログに投稿していたが、次第に自分を被写体として、ファッションやライフスタイルを中心に情報を発信するようになった。

日本への渡航は15回以上。13年10月には、日本のファッションブランドを多数手掛けるマークスタイラー(東京都渋谷区)のプロモーション企画をSNSで公開。以降、ファッションや観光誘致のアンバサダーとしてイベントに招待されるなどし、日本のファッションやメーク、観光地をフィリピンに向けて発信してきた。昨年4月には、人材サービスのグローバルイニシアティブ(東京都渋谷区)、JTBフィリピン、日本航空マニラ支店が企画した旅行で、福島県の魅力を伝えた。フィリピンでは東日本大震災当時の印象を拭えていない人が多い中、SNSを通して多くの反響があったそうだ。「自分は大勢の人に、知るチャンスを与えられる立場だと改めて実感できた」と振り返る。

もっとできることがある

父も母もマーケティング界では著名人だ。初めは、なぜ彼女が定職に就かないのかと理解されなかった。今では父からマーケティングに関するコラムを始め、アドバイスを求められることもしばしば。家族の支えを強い味方に、ブロガーとして胸を張れるようになった。

影響力ある立場として、自身の役割を常に問いかけている。「コピーではなく、日本人の女性のように自分流におしゃれを楽しんでほしい。その付加価値を与えられる存在でありたい」と真剣なまなざしを見せる。いつか自分のファッションブランドを立ち上げるのが目標だ。

昨年、結婚式を挙げた。30歳を迎える今年は、年を重ね、よりディープな日本を経験してみたいと思うようになったという。これまでの投稿はファッションが中心だった。いまがその転換期。今後も、世界に日本の魅力を伝えるアイコン的存在になりそうだ。(取材・写真=NNAフィリピン編集部 大堀真貴子)

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