NNAカンパサール

アジア経済を視る April, 2017, No.27

【日本の技】オークラ ガーデンホテル上海 和食堂「山里」

食文化の違いを見極める

中国

オークラ ガーデンホテル上海 和食堂「山里」

1962年の開業以来、レストラン・バーの運営を直営で行い、「食のオークラ」としての地位を築き上げてきたホテルオークラ東京。2000年の九州・沖縄サミットや10年のAPEC首脳晩餐会などでの料理とサービスを担当し、海外からの国賓や政府要人などを迎えてきた。バリエーション豊かなアラカルトに加え、客の好みやシチュエーションに合わせて料理を提供する和食料理店の「山里」は、食のオークラを代表するレストランの一つ。10年の上海万博では「日本館」の和食レストランとして出店した。近年、ホテルオークラは積極的にアジアへ進出。山里が守る和食の味は50年以上にわたり、海外から高い評判を得ている。

ホテルオークラでアジア初のホテルとなる「オークラガーデンホテル上海(花園飯店)」は1990年にオープンした。山里は、フィリピンやカンボジアなど今後海外で開業するオークラホテルズ&リゾーツのホテルでも展開する方針だが、上海の山里はアジアにおける重要拠点に位置付けられている。現在、日本人の調理師2人と現地の調理師20人が、東京と変わらない味を提供している。

昼と夜の利用客の約7割は現地の中国人が占める。富裕層が多いが、20代の若年層でも仕事仲間や恋人とのデートに利用することがあるそうだ。現地では、大切な会議や結婚前の顔合わせといったイベントで利用する傾向がある。春節(旧正月)には家族や仕事仲間などが一同にそろって食卓を囲む習慣があり、山里でもこの期間は通常の単品料理を組み合わせて大皿に盛ったメニューを用意している。

銀鱈の西京焼き。食材、味付けともに上海人の味覚にマッチする

一年中人気のある鍋焼きうどん

本来の和食では、味や量など全体的なバランスを考え、最後にお腹をいっぱいにして満足させるところまで計算する。一方、円卓を囲む中華料理では、盛大なおもてなしの心から、品数が多いのが特徴で、食べきらなくてもよいとされる。上海の山里の大森朗弘料理長は「この食文化の違いを見極めて、お客様に合った出し方で料理を仕上げる必要性を感じます」と話す。

大勢が集まる会食では特に、初めの1時間ほどに集中して料理を食べ、残りの1?2時間は話をしたり飲んだりして過ごす光景を目にする。「料理を集中的に提供したり、大皿盛りにしてみたりして、そのスタイルに応じています」(大森料理長)

山里には、7割に「おいしい」と言ってもらえる基本を守り、3割は客の趣向に合わせていくという理念があり、上海でも現地で好まれるものを1~2品ほどコースの中に入れている。これに加え、日本と異なるタイミングで料理を出していくことも、上海における「3割」の一部だ。受け継がれた伝統の味を守りながら、現地の客にも受け入れられるように変化を加える。上海ならではの心遣いで客をもてなすところにも、大森料理長の技が光っている。

お客様の目の前で「パーソナルシェフ」

大きなマグロの塊が見る見るうちにさばかれ、皿に美しく盛られていく─。上海の山里では、料理長自らが客の目の前で調理する「パーソナルシェフ」という独自のサービス(予約制)を2016年春から行っている。

料理長が付きっきりで料理の技を披露する

見る見るうちにさばかれていくマグロ

予約の時点で、客の年齢や性別、集まりの趣旨、好みのものなど要望を聞き、メニューを決めていく。「おだしの取り方を紹介する際に、かつお節を実際に触っていただいたり、さまざまな種類のおだしをテイスティングしていただいたりと、お客様の興味に応じてお見せする内容も変えています」(同)

パーソナルシェフは、より豊かな日本の味覚を説明し、日本の食文化を伝えていく場にもなっている。

現地での魚に対する価値観は脂の乗りと新鮮さだ。現在、長崎から仕入れている養殖マグロは脂も多いことで人気が高いが、天然マグロの赤身などはなかなか受け入れられないそうだ。また白身魚の昆布じめや光り物の酢じめなど、1~2日置いて熟成させる調理法もあるが、こうしたものも生食では抵抗を持たれてしまう。「さまざまな食べ方をお勧め、提案し、料理の神髄に触れていただこうと努力の最中です」(同)

食材探しの難しさ

牛すき煮鍋

上海の山里では「牛すき煮鍋」を独自メニューとして提供している。すき焼きのようだが、肉を焼かずにタレに付けてから火を通すことで、肉から溶け出した旨みと甘みを野菜にまで染み渡らせることができるのが特徴だ。以前は中国の高級牛「雪龍黒牛」を使っていたが、大森料理長の任期中に入手が困難となってしまい、現在は上海で手に入る中で最も高級なオーストラリア産牛肉を仕入れている。上海では魚と同様、脂が乗った肉が人気で、こうしたこだわりのある現地でより質の良い霜降りを探すのは苦労したそうだ。

また、どの国も輸入を規制している食品があるが、上海は特に厳しい。同じ品物でも調達先を複数確保できるようにするため、パイプを作るのが大変だった。

食材の調達に苦労する上海だが、「ほとんどの商品が一からの手作りです」と大森料理長は話す。例えば現地で手に入らない松前漬けはイカを干すところから、またイカの塩辛や切り干し大根も一から作ったそうだ。「なければできないということはない。なければ作るか、良いものを探し続けて、理想に近づけていきます」(同)

調達が大変なのは実は食材だけではない。料理を乗せるお盆を日本から取り寄せた時は、通関などの手続きに手間取り、何カ月もの時間を要したことがあった。客から見えないところでも、苦労がある。

さまざまなシーンに対応できる人材を育てたい

大森朗弘(47)

オークラ ガーデンホテル上海 和食料理長

大森料理長

大阪・あべのの辻調理師専門学校を卒業後、1989年にホテルオークラ東京に入社、和食調理部に配属となる。2001年にオークラ千葉ホテルの開業と同時に和食副料理長に就任。03年にはグループホテルの中で最年少の料理長として、オークラ千葉ホテルの和食料理長に就任。06年にホテルオークラ東京に帰任。15年11月から現職。

──料理長にとって上海は

千葉での3年間の料理長としての経験を通じ、売り上げや認知度の向上に努める中で、ある程度の目標を達成したという実感がありました。そして次は、まだ経験したことのない海外勤務を希望していました。上海は業種と業態を問わずたくさんの飲食店があるので、その中でトップを目指すのは本当に大変だと感じます。そのために何をしたらよいのかを考える時間が多いです。

──上海独自の取り組みを始めた

上海に来たばかりの時は、「合わせる3割」を実践するに当たり、さまざまな場所へ食事に行ったり、現地の方に聞いたりして工夫もしてきました。また料理教室を開催し、教えることを通してこちらも現地の方の好みを学びました。その際、日本料理の技術を大変興味深くご覧になる方も多いことに気付き、料理をただ提供するだけではなく、お客様の目の前で料理の技をお見せしようと思い、パーソナルシェフを始めました。

──今後実現させていきたいことは

さまざまなお客様のニーズを見極め、対応できる若手を育てていきたいです。どのようなお客様が、どのようなことを思い、どのようなものを召し上がりたいか、そしてどのように提供したら喜ばれるか、ということを突き詰められる人材です。スタッフにはよく「自分の家族や愛する人にその料理を食べさせるか?」と自分に問わせるようにしています。技術だけでなく愛情を持って料理しようと考える人材が育っていけばと思っています。

オークラ ガーデンホテル上海

オークラ ガーデンホテル上海

宿泊客は、日本人と中国人(香港・台湾含む)がそれぞれ約45%ずつ、残り約10%が欧米などその他の国からの客が占める。かつての利用者は日本人が主だったが、次第にローカル客の利用が増え、「ホテルオークラ東京と同じような客層になってきた」(小林和彦 副総支配人 料飲部部長)。

ホテルは上海市中心部の淮海中路の近くに位置し、一帯はかつてのフランス租界だったエリアだ。ロビーなどがある正面の建物は1926年の建設で、当時は国際的な社交場「フランスクラブ」として利用されていた。「極東最大」と称されたダンスホールを使った宴会場や、屋内プールだったカクテルラウンジ「オアシス」など、古き良き上海を堪能できる。

Photo by Masato NAGAFUNE

出版物

各種ログイン